2011年6月20日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPRESS

いま自分にできることから


 東日本大震災、福島第1原発事故―。かつてない大災害を前に、未来を模索しつつ「人の役にたちたい」「いま自分のできることから」と動き始めた青年たちがいます。被災地でのボランティア活動、チャリティーイベントの開催、原発反対デモなど、多彩な取り組みが、いま各地で行われています。(染矢ゆう子、栗原千鶴)


チャリティーライブ in福島市

福島の人 笑顔に

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(写真)シャツに出演者からサインをもらった実行委員の遠藤雄さん

 「あの場所に、あんなに人が集まったのを初めて見たよ」

 そんな声が寄せられているのは5月28日に福島市内で開かれた「SMILeチャリティーライブatふくしま〜音楽で広げよう笑顔の輪〜」です。福島出身の音楽家をはじめ10組のアーティストが参加。チャリティーバザーやメッセージアート、地元商店街からカレー屋なども出店し、会場は若い世代や家族連れであふれました。

関心多くの人に

 主催したのは青年でつくる実行委員会。代表の遠藤雄さん(26)は「思った以上に、たくさんの人がきてくれました。準備段階でも多くの人が関心を寄せてくれ、次々と協力者が増えていった。こうした取り組みが待たれていたんだと思います」と振り返ります。

 震災後、周囲の人は不安を抱えていました。「バイト先では原発事故の話ばかり。避難したいが仕事もあるし、どうにもできないと話す友達もいた。自分も不安だったが、自分だけ避難するわけにはいかないと思った」と遠藤さんはいいます。

 福島の人たちを笑顔にしたい、みんなと楽しい時間を過ごしたい―。そんな思いを共有した仲間数人で「後先、考えず派手なことをやろう」と、イベントの開催を決めます。

ラジオでも告知

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(写真)多くの市民が集まったチャリティーライブ=5月28日、福島市

 準備期間は1カ月。避難所へボランティアに行った人や原発の学習会などに参加した人たちが集まり、実行委員会を結成します。

 しかし「仕事が忙しくて時間がない」「お金がかかるから大きな取り組みは難しいのでは」という仲間もいました。遠藤さんたちは「できることからやればいい」と話し合い、団結していきます。

 出店をお願いしに行った先の飲食店では、思わぬ人を紹介されることもありました。

 地元ラジオ局を訪ねると「1カ月で開催しようとすること自体がすごい。とにかくやってみたらいい。頑張れ」と激励され、生放送に出演。告知させてもらいました。駅前の大型ビジョンも管理会社の厚意で、無料で使わせてもらいました。

 ポスターを見て実行委員になる人もいて、当日のスタッフは40人に。出演者もスタッフもボランティアです。

 実行委員の一人で民青同盟員でもある女性(21)=看護学生=は「同じ福島県民として何ができるかと考えた」といいます。「週に2回、3回と集まって作った手作りライブ。やってよかった」と語ります。

 イベント終了後には、面識のない人もブログに感想を書いてくれていました。

 「頑張ったね、またやってほしいと言ってくれる人がいて、うれしい」と遠藤さん。「最後まで、みんなと一緒に作り上げることができて、自分も成長できました。スタッフも参加してくれた人も笑顔になれた。これからも福島で、救援や復興に頑張っていきたい」


原発やめろデモ in東京・新宿

被害何万年、怖い

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(写真)11日に行われた原発反対デモ=都内

 「原発怖いです」「LOVE福島 一緒に考えたい」

 11日、東京・新宿で行われた原発やめろデモ。色とりどりの風船や、思い思いの主張が書かれたプラカードを持った2万人(主催者発表)の参加者が、ねり歩きました。

東海村で危機感

 4月、5月にもそれぞれ1万5千人を集めたデモを呼びかけたのは、東京都杉並区の高円寺駅前でリサイクルショップ「素人の乱5号店」を経営する松本哉(はじめ)さん(36)です。1999年に茨城県東海村で臨界事故が起きたとき、施設の前をバイクで走っていた松本さん。「事故を知らず偶然通ってしまった。このときから原発は危ない、反対だと思うようになった」といいます。

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(写真)デモの参加を呼びかけた松本哉さん

 今回の事故について「危ないといわれていたのに東電は対策をとってこなかった。事故が起きて、実際に被害を与えまくっている。原発の被害は何万年も残り、他の災害の比ではない」と憤ります。

 事態がなかなか進まないとやきもきしていた3月末、このままうやむやにしてはいけないと、友人にデモを一緒にやろうと呼びかけました。

 翌日、居酒屋で会合を開きます。事故直後から、放射能を恐れて長崎の実家に避難していた近所の古着屋の店長、山下陽光さん(33)など10人が集まりました。

 「早ければ早いほどいい」。デモは、10日後に地元・高円寺での開催が決定しました。

ネットを通じて

 参加者が広がった要因は、インターネットの簡易ブログ、ツイッターの力でした。松本さんと音楽ライターの二木信さん(29)がデモを告知。1日100人以上の人が、次々とつぶやき、広げていきました。

 二木さんが、原発の危険について主張しているミュージシャンやDJに声をかけると、ブルーハーツなど人気ロックグループの元メンバーも参加。「都合がつく人はほとんどOKでした。出たいといってくる人も多かった。音楽の力を感じました」と二木さん。

 山下さんは被爆3世。放射能は死に直結する問題と考えていました。環境団体がデモに加わり、地方でもデモを主催する人が増えるなか「風向きが変わってきた」と実感しています。

 「みんなが怒っていることが、ひとつの大きな声につながったと思う。個人が呼びかけて、日常の延長で自由に表現できたことがデモの満足度につながった」と松本さん。「デモは原発を止めるまでやりたい。止めないと国際社会にみっともない。政府は順番に原発をなくしていく方向性を示してほしい」





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