2011年6月9日(木)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
先月の中旬でした。秋田県大館の市立中学校のできごとが、全国に報じられました▼学校では生徒会が、東日本大震災の被災者におくる義援金を募っていました。学校側も協力します。締め切りが近づいたころでした。二つの学級の担任教師が、募金に応じていない生徒の名前を黒板に張り出したのです▼ざっと20人。後からお金を出した生徒の名前に印を入れる。保護者の苦情を受けて外したものの、せっかくの義援金集めが傷ついた感は否めません。まるで強制みたいではないか、と▼義援金は、もともと「義捐金」と書きました。「義」は、「正しい行い」「道理」をさします。「捐」とは、「すてる」。義援金は、私財をすてて人の道につくす寄付です。もちろん、強制はなじみません▼義援金の意味の、別のはき違えが伝えられています。“義援金を配り始めたから”といって、在宅の被災者への弁当の配給を打ち切ろうとする。仕事を失い収入の途絶えた人々が命綱としてきた、日に一度のお弁当です。あるいは、“義援金や東京電力の仮払金が出たから”といって、生活保護を打ち切る▼いずれも、財政事情のきびしい市や町の行いです。とはいえ政府は、被災者と自治体の不安を和らげる責任を免れないでしょう。厚労省自身、「被災者が自力更生のためにつかう義援金を収入とはみなさない」といっているのですから。義援金のせいでかえって被災者が困るのなら、人助けの気持ちで募金に応じた人々の、善意も裏切られてしまいます。