2011年6月8日(水)「しんぶん赤旗」
弁当打ち切り 在宅被災者が悲鳴
職なし・金なし・食料なし
岩手・山田町
岩手県山田町は、東日本大震災の在宅被災者に対する弁当の配給を、6月中旬で終了する方針を打ち出しました。震災で職を失い収入のない在宅被災者からは「町からの弁当配給を止められたら暮らしていけない」と、継続を求める声があがっています。在宅被災者にとっても、国や行政の支援は命綱なのですが…。
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山田町は4月中旬から、支援を求める避難所近隣の住民にたいして、在宅被災者と非被災者の区分を設けずに避難所で暮らす被災者と同様に弁当を配給してきました。
6月からは、被災していない人への弁当配給は中止しました。在宅被災者については▽自宅にいても職を失い収入がない▽調理環境が整わない―などの状況であれば、申請した場合は配給を続けてきました。しかし、町は在宅被災者を対象にした弁当の配給も、6月中旬で終了する予定です。
不安
津波によって大きな被害が出た同町船越地区田ノ浜集落の男性(74)=漁師=は、防波堤付近に打ち上げられた漁具を回収していました。
「家が残った私たちは義援金をもらえない。自宅で暮らす被災者も避難所で暮らす被災者も、職を失い金がないのは同じだよ」と話します。
高台にある自宅は無事でしたが、港は破壊され漁具も流されて漁に復帰できる見通しは立ちません。男性は妻といっしょに、町から配給される弁当を食べて暮らしています。
「震災で収入が途絶え、そのうえ町からの支援がなくなったら地獄がはじまる…こわいね」と表情が暗くなります。
同地区日向脇(ひなたのわき)集落では、「貯金がなくて買い物はできないから、野菜を育てているの」という女性(61)が約25平方メートルの畑に水をまいていました。家族が生きていくためにネギや春菊、ナスなどを植えたと言います。
この女性は、夫と息子と3人で、浸水をまぬがれた高台の自宅で暮らしています。義援金を受ける対象にはなりませんでした。
アワビやカキの養殖で生計を立てていましたが、津波で船も養殖棚も流され収入の糧を失いました。親戚や知人からのわずかな食料支援と、日に1度町から配給される弁当で何とか生活をつないでいます。
「もうすぐ町からのお弁当の配給も止まってしまいます。生き残ったはいいけど、これからどうしたらいいのかね」
打撃
町は在宅被災者への弁当配給終了の理由として、6月3日から義援金の支給を開始したことや、ライフラインの復旧によって商店が営業再開することなどをあげています。弁当の配給を求める町民は948人(5日現在)に上り、大きな打撃となります。
日本共産党の佐藤照彦町議は被災者に対する支援の終了には慎重であるべきだと指摘します。「すべての被災者が、仮設住宅に入るなり職に就き収入を得るなりして、安定した暮らしを確保できるまでは支援を続けるべきだ」と町に申し入れを重ねています。 (秋山豊)
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