2011年6月6日(月)「しんぶん赤旗」
被災3県ハローワークの職員
2カ月で1年分の業務
未曽有の大震災から間もなく3カ月。家も職も失い、収入のすべをなくした多くの被災者が、ハローワークに殺到しています。地元での仕事を探して「週2、3回通っている」という人も。こうした被災者に寄り添って、相談に応じ、失業手当受給の手続きや雇用の開拓に、職員は懸命にがんばっています。岩手、宮城、福島の被災3県のハローワークと労働局をかけめぐり、現場の実情を取材しました。(東日本大震災取材団)
気仙沼
ホテル間借り/所長室はカラオケルーム
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津波を直接受けて業務不能におちいった宮城県のハローワーク気仙沼。いまホテルの一角を借りて開庁しています。
取材に訪れ、所内に案内されてびっくりしました。所長室は3畳程度の広さのカラオケルーム。展望ロビーに並ぶ相談窓口。職員はスナックバーのカウンター前に設置されたパソコンに向かって事務処理をしています。
手書きの書類
雇用保険の受給資格決定は2カ月間で4800件以上。保険加入者の3分の1にのぼり、昨年同時期と比べて約10倍の仕事を処理しました。「気仙沼地域の人たちに元気になってほしいと、一生懸命働いてきた」と語る昆野則昭所長。
その忙しさは想像を絶するものでした。なにしろ建物を除いて、資料、データ、パソコンすべてが流された状況での業務です。
震災後の3、4月は電気、水道が復旧しないなかで、多いときは1日600人を超える利用者が来庁。早朝から利用者が並び始めるため、職員は朝7時すぎには出勤し、窓口を開けました。午後5時に閉庁し、その後、深夜まで書類を作成しました。
4月30日に電気が復旧するまで書類はすべて手書き。気仙沼の正職員10人と非常勤職員、全国から駆けつけたハローワーク職員の応援で相談の処理や雇用保険の手続きに応えてきました。
離職票11万件
職員は、日々の長時間勤務に加えて、土曜日、日曜日、ゴールデンウイークなどの祝日も開庁し、一時期は休みなしだったといいます。
きびしいなかでがんばっている思いをきこうと職員に声をかけたところ、「いやあ、たいへんなのは私だけではありませんから」と、さらりとした言葉が返ってきました。
ハローワーク気仙沼は、庁舎そのものが津波にのみこまれた困難さがあります。しかし文字通り不眠不休で被災者を支えてきた職員のがんばりは、どのハローワークも共通しています。
厚生労働省の調査では、震災による雇用保険に必要な離職票などの発行は11万4608件(岩手2万4113件、宮城4万9851件、福島4万644件)にのぼります。“わずか2カ月で1年分をはるかに超える”といわれる仕事量がそれを示しています。
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