2011年6月3日(金)「しんぶん赤旗」
主張
菅首相「不信任」決議
震災対策進める責任は重い
東日本大震災や東京電力福島第1原発事故への対応をめぐり内閣不信任決議案を突きつけられた菅直人首相が、民主党代議士会で震災対策に「一定のめど」がついた段階で「若い世代に引き継ぐ」と発言しました。退陣を明示したわけではありませんが、不信任決議に同調していた民主党内の一部はこの発言を「辞意」表明だとして、決議に反対、否決しました。
自民・公明などが提案した不信任決議は、先の展望を示さない党略的で無責任なものです。日本共産党は、菅内閣を信任できないとの立場を明確にしつつ、決議案に棄権の態度をとりました。
被災地のきびしい批判
東日本大震災の発生から3カ月近く、被災地ではいぜん多くの被災者が不自由な避難所暮らしを続けています。地震で壊れ津波に流されたままで、がれきの処理も、水没した農地や漁船・漁港の再建もままならない状態です。東電福島第1原発の事故では、爆発し放射性物質の拡散を続ける事態を収束させるめどさえ立たず、住民の避難生活が続いています。
被災地は、菅内閣の被災者支援の不十分さや、遅すぎる復旧・復興策、東電任せの原発事故対策、被害賠償の遅れなどに憤りを強めています。と同時に、“国難”ともいわれる状況の下で、菅内閣に代わってどうやるのかの展望も示さないままでの内閣不信任案の提起は、被災地を無視するものだと批判してきました。
国会では復興基本法の審議が続き、第2次補正予算の編成もこれからです。そのさなかの自民、公明の内閣不信任決議案の提出と、民主党内での同調する動きに、「被災者不在」との声がいっせいにあがったのは当たり前です。
菅首相も民主党代議士会でのあいさつで、不信任決議案の提出は自らの「不十分さ」のせいと認めるように、事態の第一の責任が菅首相にあるのは明らかです。しかし、自公が不信任決議案を提出しながら、可決されれば衆院解散を求めるのか、菅内閣を総辞職させその代わりにどんな体制をつくるのかの展望さえ示さないのでは、その提出が党略以外の何ものでもないといわれるのは明白です。
無責任な政争で、もっとも迷惑をこうむるのは被災地であり被災者です。万一なんら見通しがないまま不信任決議案が可決され、衆院の解散や内閣の総辞職といった事態になれば、それだけ震災対策が遅れます。それこそ震災対策に国の総力を挙げるうえで有害です。自民・公明も、それに呼応した民主党内の動きも、党略的な不信任案騒ぎはあまりに無責任です。
菅首相の責任免れない
もちろん、菅首相が土壇場で「辞任」にふれなければならなかったこと自体、世論に追い詰められたためです。不信任決議案が否決できても、菅首相が批判を免れることはできません。菅首相が大震災への対応を「最優先に取り組む」というなら、その言葉通りの実行が求められることになります。
菅首相は「一定のめど」といっただけで、いつ辞めるのか明確にしたわけではありません。しかし、辞任がいつになろうと首相である限り責任は重大です。日本共産党が「第2次提言」で求めたように、被災者の支援と被災地の復旧・復興、原発事故の収束とその賠償に、実行が問われます。