2011年6月2日(木)「しんぶん赤旗」

岩手・宮城・福島

ハローワーク9カ所調査 本紙

家族3人が失業

地元で働きたい


 東日本大震災で津波や原発事故で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の3県のハローワーク前で本紙は訪問者から聞き取り調査をしました。職場が流されて失業給付の手続きにきた人、新しい仕事を探しにきた人。口々に語るのは、「地元で働きたい」「安定した仕事がほしい」という強い思いでした。(東日本大震災取材団)


写真

(写真)ハローワーク石巻の職業相談の窓口=宮城県石巻市

 調査は、5月26〜28日にかけ被災3県の沿岸部にある9カ所のハローワークで約160人から直接、声を聞きました。調査した各地のハローワークでは家族連れ、子連れなど、震災前には見られないほど大勢の相談者が訪れていました。受付には列ができ、待合席の椅子が足りず立って呼び出しを待つ人、駐車場の車の中で待つ人の姿もありました。

求人は地域以外

 「働き手3人が職を失いました。お金を下ろしたら、通帳にマイナスがついた」。岩手県山田町の女性(48)は病院の看護助手をしていましたが病院が津波で全壊し職を失いました。同居する23歳と20歳の娘も失業中です。娘2人は母子家庭で、それぞれ2歳と1歳の子を抱えています。できるだけ地元で働きたいといいます。

 宮城県石巻市の女性(41)は働いていた店が流されて、社長と連絡が取れていません。「次のことを考えよう」と職探しにきたといいます。「家も地震と床上浸水でぐしゃぐしゃ。避難所で暮らしています。2人の子どもがいます。新しい仕事が見つかってアパートを借りられればいいけど」と話しました。

 地元での雇用を求めるも、なかなかみつかりません。「市内にこだわらなければ仕事はあるが…」(職場が津波でなくなった石巻市の男性)、「地元でねばりたいが、求人は地域外ばかり」(両親の介護をする気仙沼市の男性)―。

 厚生労働省によると被災3県で休業・失業している人は11万人超。岩手、宮城両県の4月の有効求人倍率は前月比で0・06ポイント悪化し、地元の雇用が十分でない現実があります。

地域のプランを

 三陸沿岸部は、水産業を主要産業にしている点で共通していますが、産業の構造は地域ごとに異なります。被災者は、その産業にあわせて技能を身につけてきました。被災者が地元で働ける場を確保するには、地域に合った復興プランが求められます。

 政府が「上からの復興計画」を進めるのに対して、ハローワークのある所長は、「地元自治体の復興プランが必要だ」と強調します。


財布に500円 仕事がない

困窮する生活

 「財布には500円しかない。父親の年金支給日までこれで過ごすしかない」。宮城県気仙沼市のハローワークで出会った30歳の女性です。派遣社員として働いていましたが、震災後、派遣元からは連絡がありません。「派遣がどうなっているのかわからないから(求人票も)見ているだけ。電話もしづらい」と話しました。

 仙台市泉区の男性(58)は、宮城県石巻市で鮮魚を中央卸売市場に売る営業をしていましたが、同県女川町にある本社が津波で流され倒産したといいます。「正社員50人とパート15人が全員解雇された。海がだめになっているので仕事がない。年齢も高いので、求人に応募してもほとんど書類で落とされる」と嘆きます。

 岩手県山田町の女性(52)は、水産加工の事務をしていました。津波で鉄筋だけに。「35人いた職員のうち8人が亡くなった。社長が再建は難しいといい解雇されました。年金もらえるのは65歳からだし、仕事しないとやっていけない」と語りました。

 「生活の足である車を流されてしまった」「ハローワークに行くのにも金がかかる。ガソリン代も節約したい」「自転車で1時間かけてきた」と長距離を徒歩や自転車、民間の店舗までの無料バスを使うなどしてハローワークに通っている人も少なくありません。

仕事変えても働きたい

女性・高齢者

 「家計を支えなければならない」「母子家庭で失業した」と、女性も高齢者も仕事探しにきています。

 岩手県釜石市の女性(32)は勤めていた会社が津波で流されて失業しました。2月からの賃金が未払いで労基署に相談しているといいます。「自宅も流され、母を亡くしました。いまは中1、小6、小3の子ども3人と避難所で、貯金を崩しながらの生活」と語ります。「仮設住宅に入ったら食費や光熱費がかかるので仕事をみつけないと。製造関係の派遣の面接を受けた。とりあえず働ければ正規でも、非正規でもいい」といいます。

 宮城県気仙沼市の女性(36)は、縫製工場の仕事を紹介されて後日、見学にいくことにしたといいます。「福祉施設の給食などを作る冷凍食品加工会社に勤めていました。ちょうど産休をとっていた間に被災して、そのまま解雇になった」と事情を話しました。

 岩手県大槌町の年金生活の男性(69)は津波で流された自宅の再建のために働きに出ることにしました。「大槌は水産加工があったけど、(津波で流されて)全部ない。この年齢ではがれきの撤去も力仕事だからできない」といいます。

 同県宮古市の漁業の男性(68)は、ウニ、アワビ、ワカメなどの漁をしていました。震災で船は全滅。「待っていてもしょうがないので、以前にやっていた海運に戻ろうかと思う。なければ陸の仕事を探すしかない。体力が続く限りなんでもやらないと。口さ入るものないといけないから」と話しました。

がんばり限界 援助ぜひ

事業者の努力

 相談に来た事業者は、雇用を守る懸命の努力を続けています。

 宮城県東松島市で大企業内の配管・機械の工事などを請け負う事業者の男性(35)は30人いる社員に「賃金を払った。出せるものは全部出したので、雇用調整助成金を検討している」と話します。「不安なのは会社と自宅あわせて1億円くらいになるローン。がんばって雇用を守っているが限界がある。国は援助の必要な人を優先してほしい」と訴えました。

 岩手県釜石市で自動車整備工場を営んでいた男性(70)は「津波で流されて、工具も全部なくなった」といいます。「従業員13人は解雇していない。社員の生活は守らなくてはいけないし、給料も払わなくてはいけない」と語ります。「仮工場の再開で5000万円借金し、流される前の借金と合わせると2億円くらいになる。大変厳しい。(ローンを)減免してもらえるとありがたい」といいます。

 一方で、「守りたくても守れなかった」「すべてを失い、解雇せざるを得ない」という状況に追い込まれている経営者もいます。

 同県山田町で水産加工工場を営んでいた男性(72)は「津波で工場が流され、全壊し、骨組みだけになった。8人いた従業員は全員解雇せざるを得なかった。従業員は主婦の方が多かった。失業給付の手続きをしにきた」といいます。「再建には自己資金ではどうにもならない。1500万円くらいあれば何とかなる」と語りました。

避難所転々 就職できない

原発事故の福島

 「原発さえなければ」「ここでまた生活できるのだろうか」

 東京電力や政府に対する怒り、不安がうずまく福島県。ハローワーク福島(福島市)を訪れると、駐車場は満車。車が30メートル近い列をなしていました。

 失業給付の申請、仕事探しなどで4月の訪問者は、1日当たり平均2150件ほどで、5月に入り若干減ったといいます。

 南相馬市で住宅設備の仕事をしていた男性(28)は、原発事故で職場に戻ることができず休職しています。失業給付の説明を聞きに来ました。妻と子ども3人の5人家族です。

 いま避難している旅館が4カ所目だといいます。「ここも7月までしかいられない。この先、住むところはない」と力のない語り口でした。安定した仕事を探したいが、避難所を転々とする生活ではそれもできません。

 ハローワーク職員は「避難所を移ったりするので、せっかく仕事に就いても、辞めることになる」と語り、ここに被災者の困難、不安があるといいます。

 雇用調整助成金に関する相談に来たという男性(43)は、浪江町で運送業を営んでいました。

 原発事故で避難指示が出たため、福島市内に移りました。従業員は以前24人いましたが現在15人。取引先が被災したため、仕事は震災前の6〜7割といいます。雇用調整助成金について「従業員のためではあるが、事業者への直接的な支援ではないから厳しい」と語っていました。

 ハローワーク相双(南相馬市)では、飯舘村でホテルを経営していた男性(52)が雇用調整助成金の手続きに来ていました。地震で天井が落ちたりして営業できなくなり、休業することを決め、従業員の3、4月分の休業手当の助成を申請していました。

 ところが4月末になって全村避難という予期せぬ事態になり、従業員を解雇せざるを得なくなったといいます。「また戻れる条件が出てくれば、従業員を再雇用したい。財産は従業員ですから」と、つらい思いを語りました。

再挑戦へ借金対策を

自営業者

 仙台市宮城野区で米と花を作る園芸農業者(52)は、家も田畑も津波の被害を受けました。田畑にはくぎやガラスなどのがれきが混ざっていて、手がつけられない状態だといいます。「再開できるかどうかは8、9月くらいにならないと分からない。就職も考えているが、勤めてしまえば農業に戻れなくなってしまう。できることならもう一度チャレンジしたい。せめて、がれきの撤去、借金の解消を県、国の支援でやってもらえれば…」と思いを語りました。

 津波で壊滅した岩手県宮古市鍬ケ崎地区の自宅で、両親と食堂を営んでいた女性(33)は「再建したいが飲食店はすごくお金がかかるので見通しがたたない」といいます。同じ場所でやるのも津波が怖いとも。「今は仮設住宅に入っています。当面の収入がないので仕事を探している」と話しました。

 商店や飲食店、水産加工業、農業者、漁業者などの自営業者は津波で店や工場、農機具や船などあらゆる生産手段を失いました。再建のめどが立たないなかで、生活を支えるために別の仕事を探さなければいけない状況です。

賃金安い ほとんど短期

求職者切実

 「緊急雇用対策もやっているが、3カ月程度のものが多く、その先はどうしたらいいのか」(宮古市の女性)、「長期の雇用をさがしていたけど、生活が切羽詰まってきたので、今日は短期のアルバイトも含めて探しました」(多賀城市の32歳男性)と、市民は職探しに懸命です。

 復旧作業の求人はありますが、危険で重労働のがれき撤去でも日当おおよそ6000円。ほとんどが3〜6カ月ほどの短期です。仙台市若林区在住の男性(43)は、「市役所による臨時の仕事が出ているが生活できる賃金ではない」といいます。「たぶん、最低賃金ぎりぎりなのだと思う。低すぎる最賃をなんとかすべきだ」と語りました。

 働いていた工場がすべて津波で流されたという釜石市の女性(19)は、「正社員でも手取り14万円ぐらいが多いです。これまで3回応募したけど、面接でみんなダメでした」と話します。

 東北地方は、もともと雇用が少なかった地域。非正規の派遣労働や短期雇用、パート、アルバイトが多く、安定した正社員の仕事は少ない状況です。「賃金が安い。失業給付とあまりかわらない」という声も聞かれました。

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