2011年5月2日(月)「しんぶん赤旗」
水俣病 命ある限り闘う
公式確認55年追悼式
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水俣病の公式確認(1956年)から55年を迎えた1日、熊本県水俣市で水俣病犠牲者の追悼式が行われました。遺族ら約650人が出席しました。
患者・遺族代表らが「祈りの言葉」を述べました。
弟、妹が胎児性水俣病患者で自身も53年間にわたって症状に苦しむ緒方正実さんは「チッソによって祖父は命を奪われた」と告発。「患者として、資料館の語り部として真実を伝えていくことを誓う」と語りました。
若者を代表して訴えた水俣工業高校の生徒(17)は「水俣病のこと、水俣病を乗り越えていこうとする水俣の姿を広く伝え、新しい水俣を切り開いていきます」と決意を述べました。
近藤昭一環境副大臣、蒲島郁夫熊本県知事、チッソの後藤舜吉会長は被害者に対する「謝罪の意」を表したものの、多くの被害者切り捨てになる特別措置法に基づく“救済”に固執する姿勢を示しました。
不知火患者会会長の大石利生さん(70)は「国、県、チッソは“全員救済”と言ったが、言葉だけではなく実際に実行してほしい。行政の責任による環境・健康調査を行い、最後の1人まで救済されるまで、生きている限りたたかい続けます」と話しました。
日本共産党の野中重男、川上沙智子両水俣市議、坂本登芦北町議が出席しました。