2011年5月1日(日)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
1946年の5月1日。戦後初のメーデーの熱気が、各地に伝わっています。新潟県小出町の村の鎮守には5000人がつめかけた、といいます▼「村で百姓のメーデーをやりたいとおもってな、かかあの腰巻の古いので赤旗をつくってな、それをそっとしまってた。駐在がそれをみつけやがって、おれァ…連れていかれただよ。それがどうだい、この有様は! おれは涙がでて…」▼戦前の弾圧にあった人が、演説しながら感きわまり泣き崩れたそうです(杉浦正男・西村直樹『メーデーの歴史』)。戦争からも、弾圧からも、解き放たれた喜び。中央メーデーには50万人が集まりました。会場の宮城前広場は、文字通り人民広場と化しました▼しかし、民衆の力の爆発は、自由を得たからだけではありません。メーデー宣言が物語ります。「われわれは歴史上はじめての苦しみを味わっている。住むに家なく、着るに衣服なく、喰(く)うに米はない」。戦災の焼け跡からの、飢えと貧しさからの、解放をもとめる声が満ちていました▼ことし、まるで65年前のメーデー宣言が記した現実にふたたび戻ったような、東日本のありさまです。巨大津波と原発事故が重なる“戦後最大の日本の危機”。いまなお、13万人に近い人々が避難生活をおくっています▼第82回メーデーは、「被災地支援」を掲げます。と同時に、震災をのりこえ、人間らしく働き暮らせる社会をめざす場です。戦後初のメーデーが、新しい日本をつくるたたかいの出発点だったように。