2011年4月22日(金)「しんぶん赤旗」
防災・福祉の願い やっぱり共産党
「命の基盤」削った 自・公・民・社・み
東日本大震災を受け、いっせい地方選挙では、各党とも「防災・安心のまちづくり」を口にしています。しかし、自民・公明・民主・社民の各党は「行政改革」の名で、消防や医療、自治体の行政力など住民の命を守る基盤を弱めてきました。みんなの党は、さらにそれをあおっています。日本共産党は公共基盤を切り縮める流れの転換を求め、住民とともに公立病院などの削減にストップをかけてきました。福祉・防災のまちづくりを本当に進められるのは日本共産党だけです。
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職員充足76% 放水遅れ
消防
地域防災の要が消防体制です。1995年の阪神・淡路大震災で不備が指摘され、拡充が求められてきました。しかし、全国の消防職員数は必要とされる人数の76%(2009年)と低迷したままです。
地方では充足率が4割から5割の消防本部も多く、災害時に、決められている消防ポンプ車の搭乗人員を確保できない事態も生まれています。救急車や消防車の現場到着時間は年々遅くなっています。
90年代後半から、「行政改革」の名で自民、公明、社会(社民)、民主などの各党が地方に公務員減らしを押し付けたこと、自公政権が「三位一体改革」の名で国から地方にわたす地方交付税を大幅に減らし、地方財政を圧迫したことが大きな原因です。
消防職員が不足している原因をただした日本共産党の質問(07年)に対し、政府も「市町村の厳しい財政状況や行政改革に基づく定員管理で、大幅な消防職員の増加が困難なため」と答えざるを得ませんでした。
幅60メートルの道路建設などの区画整理事業に184億円をつぎ込む一方で、消防職員の充足率は72%、学校の耐震化も71・5%(金沢市)など、日本共産党を除く「オール与党」体制のもと、開発優先で防災対策が後回しにされる事態も各地で相次いでいます。
共産党、住民とともに運動・論戦
各地で安全守る役割
日本共産党は、福祉と防災体制の拡充を求め、全国各地で公共基盤切り捨てに反対し、歯止めをかけてきました。今回のいっせい地方選でも「福祉と防災のまちづくり」を訴えています。
愛知県では、2008年に県が消防広域化推進計画を策定。県内37の消防本部を11にすることを打ち出しました。日本共産党の地方議員団は勉強会を重ねて問題点をつかみ、県内の各自治体の議会でただしました。広域化に反対する消防職員の「これで住民の安全が守れるか」という思いとあいまって、広域化を押しとどめています。
同時に震災前から、消防職員の拡充、災害時の避難所の見直し・整備などを求めてきました。
東京・小平市では、長年の自公市政で63%(06年)にとどまっていた小・中学校の耐震化を、6年前に共産党が初めて与党になって、4年間で100%完了させました。
公立病院・保健所の削減に対しても国会で反対の論陣を張るとともに、各地で「病院守れ」「保健所守れ」という住民と一緒に運動。統廃合の計画を見直させたり、国立病院が市に移譲されたなかでも診療科を新設させるなどの成果をあげてきました。東京・大田区では都立病院の公社化で停止された産科の再開を実現しました。住民の命を守る基盤を拡充し、福祉と防災のまちづくりをたくせるのは日本共産党しかありません。
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「安全神話」 35年前から追及
原発
日本共産党は、35年前から原発の大増設計画に対し、「原子力は本来、危険性をはらみ、未完成の技術だ」(1976年1月、日本共産党の不破哲三書記局長=当時)と指摘し、“原発は安全”だという「安全神話」によりかかる政府の原子力政策を一貫して批判してきました。同時に、原子力の推進機関と規制機関の分離など、安全確保最優先を求めてきました。
吉井英勝衆院議員は5年前から大地震や大津波によって全電源喪失や原子炉の冷却機能喪失が起き、最悪の場合には炉心溶融を引き起こす危険があると指摘。「どんな場合にも、チェルノブイリ(原発事故)に近いことを想定して、対策をきちんととらなければいけない」(2006年3月1日、衆院予算委員会第7分科会)と訴え、福島第1原発の事故と酷似する事態が起こりえることを警告していました。
事故発生後、吉井氏の質問は国内外メディアで取り上げられ、ネット上でも大きな反響を呼びました。
事故後も機敏に
今回の原発事故への対応では、志位和夫委員長が、危機回避、事態収束のため専門家・技術者などの英知を結集することを提起。政治的立場の違いを超えて協力してきました。同時に、全国の原発の総点検を行うよう求め、原発新増設計画の中止、自然エネルギーへの転換など、原子力行政・エネルギー政策の抜本的な転換を要求しました(3月31日の菅直人首相との会談)。菅首相は原発の新増設について「白紙というか、見直しを含めて検討したい」と表明し、内外で大きく注目されました。菅首相は国会答弁でも、増設計画の“凍結”を示唆しました。
吉井議員は6日の衆院経済産業委員会で、今回の事故が、これまでの警告に耳を傾けず、「安全神話」のために対応が遅れた“二重の人災”だと追及。寺坂信昭原子力安全・保安院長は「当時の認識に甘さがあった」と述べました。
一方で、無謀な原発増設計画を推進してきた自民党、民主党、公明党などは原発推進への反省もなく、地方選ではダンマリを決め込んでいます。それどころか、「誰が悪い、彼の責任だと言っていても詮(せん)なきこと」(石破茂自民党政調会長、『中央公論』5月号)などと責任逃れを図る動きもあります。みんなの党も原発そのものをどうするのかの政策は語れません。
病院と保健所を統廃合
医療
地域医療を担う公立病院は、ことに地方では災害時の命綱です。しかし、05年に全国982カ所あった公立病院は、09年には916カ所に減らされました。
自民・公明政権が、「公立病院改革ガイドライン」によって、公立病院に統廃合を迫ったためです。自公政権は、社会保障費削減路線をすすめて医療費を削り、病院経営の悪化や医師不足を引き起こしながら、医師不足で病床利用率が低下した地方の公立病院に、病床削減や診療所化を押し付けました。民主党政権も、この路線を引き継いでいます。
災害時に、緊急医療の確保や避難所の感染症予防や栄養支援、心のケアなどを担う保健所も減らされてきました。
地域保健法(94年成立)によって都道府県に保健所統廃合が押し付けられたためです。全国に847カ所あった保健所は494カ所(10年)と半分近くなっています。
憲法25条に明記された公衆衛生の向上・増進を図る国の責任を放棄するものだと同法案に反対したのは、日本共産党だけでした。
「行革」で削減 復興に支障
公務員
自公政権が中心になって進めた「行革」路線で、2000年には320万人いた地方公務員は、10年には281万人まで減少。政府は05年に5年間で地方公務員を6・4%削減する「集中改革プラン」を策定しましたが、全国の日本共産党をのぞく「オール与党」体制のもと目標を上回る7・5%の削減となりました。民主党は政権交代後、地方交付税の抜本拡充に手をつけず、公務員削減路線も引き継いでいます。
東日本大震災では、これまでの「行革」路線で自治体の体力が奪われてきたところに震災が追い打ちをかけ、救援・復旧を遅らせていると指摘されています。多くの公務員が自らも被災しながら住民の救援などにあたっていますが、職員からは「なにせ人が足りない。『行革』の人減らしのつけが震災で如実にでた」(岩手県大船渡市)との声があがっています。
それにもかかわらず、民主、自民、公明、みんなの各党は、震災以降も、防災力と住民サービス切り捨てにつながる公務員削減に固執しています。民主党の岡田克也幹事長は震災復興財源として公務員の人件費削減の検討を表明。みんなの党は、震災現場での公務員の奮闘をほめながら、公務員総人件費の2割削減を掲げ、国会では「今こそ公務員給与(人件費)の削減を」(上野宏史参院議員)とあおっています。
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