2011年4月11日(月)「しんぶん赤旗」
悲しみいまだいえず 子失った親たち
津波が襲った石巻市大川小 宮城
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3月11日、津波は子どもたちが通う小学校を襲いました。離ればなれのまま、子どもを失った親たち。悲しみはいえることなく1カ月が経過しようとしています。
北上川を4キロ以上さかのぼり津波は、宮城県石巻市立大川小学校の屋根まで達しました。市によると、学校にいた児童108人のうち64人が亡くなり、10人は行方不明のまま。校内にいた職員11人も9人が死亡、1人が行方不明です。今でも、小学校の近くでは消防などとともに子どもを捜す親たちがいます。
小学校5年生の息子さんを失った男性(47)は仕事中に激震に見舞われました。車で学校への道を走りましたが、津波で流され通行止めに。「学校だから大丈夫」。そう信じ、消防団の作業に加わりました。
翌日の午前中、ラジオで小学校の体育館に子どもと近所の住民が取り残されているもようと情報が流れました。「無事、戻ってくる」。母親たちは、冷たい水につかり、一晩寒い中に居た子どもたちを迎え入れるため、おにぎりと毛布を大量に準備しました。
しかし、小さい遺体が、一つまたひとつと見つかりはじめました。息子さんは、何かをつかむように泥が手に握られ、6年生になったら新しくする約束をしていた上靴は、窮屈だったのか、脱げていませんでした。
マッサージが得意。仕事から疲れて帰り、風呂から上がると全身をもみほぐしてくれました。「つぼを心得てて、気持ちよかった。でも、もうしてもらえない」。隆洋さんは、口を震わせます。
4月1日には、東京ディズニーランドに行くはずでした。母親の(45)には、ためていたお年玉の残高を確認し「お金は要らないから」と話していました。
「あの時に何があったのか」。知りたいとの思いは積もるばかりです。9日には保護者説明会が開かれました。校庭に避難した後、体育館には落下物、裏山は倒木の危険があり、逃げ道を失っていたことが報告されました。
男性は話します。「津波を想定しない学校は全国にまだあると思う。教育委員会や学校にはこんな悲劇を繰り返さないために出来事と向き合ってもらいたい」
悲しみにくれる親たちが前を向き、進み始めるにはもう少し時間がかかりそうです。(藤川良太)
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