2011年4月6日(水)「しんぶん赤旗」
津波 歴史研究から警告
「仙台平野は常襲地帯 英知集め対策を」
仙台の元教員
飯沼 勇義さん
『仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う』(1995年。絶版)という著書を出し、地震による大津波に警鐘を鳴らし、対策を構築するよう提案してきた在野の歴史研究者がいます。元公立学校教員の飯沼勇義(ゆうぎ)さん(80)です。津波研究のため住んでいた海岸近くの仙台市宮城野区蒲生の自宅は津波で壊滅的な被害を受けましたが、いち早く家を離れて無事だったことがわかり、避難所で会うことができました。(浜中 敏)
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開口一番、「仙台地方は、実は世界のなかでも巨大な津波の常襲地帯なんです。仙台には大きな津波が来ないと思っていた人は多いが、私にとってみれば、来るべきものが来たという思いです」と言います。
今回の大震災でもっとも多くの犠牲者を出しているのが宮城県です。南三陸沿岸だけでなく、石巻から県南までの仙台平野沿岸部全体に及んでいます。
「仙台の歴史を研究すると、人が住めない、歴史がつながらない空白の時代がいくつもあり、調べると巨大な津波によるものだとわかりました。不都合なことだとして隠され、歴史書に書かれてきませんでした」
飯沼さんは、宮城県沖を震源として起きた過去の巨大な津波を民間の歴史資料で調べ、仙台平野では原始時代から現在まで何回も経験し、「周期性と法則が見いだされる」と著書で指摘。平安初頭の869年の「貞観(じょうがん)津波」と、1611年の津波を「慶長津波」と名づけて研究し、仙台平野への大津波が必ず来ると警告を発してきました。
今回の津波と同じ規模だといわれる「貞観津波」については古書「日本三大實録」で政庁のあった多賀城で死者1000人という叙述がありますが、飯沼さんは1万人の死者が推定されると言います。
津波の浸水地域には歴史的事実を反映した「津波伝説」や供養碑が残っています。名取の神社には「貞観ノ頃は頻(しき)リニ疫病流行シ庶民大イニ苦シミ」という伝承があると紹介しています。
「慶長津波」後10年たっても塩害で米がとれず、名取郡の三つの村の名で農民が仙台藩の奉行に年貢の申上状を出した史実にも、津波被害があると着目してきました。
飯沼さんは本の原稿を完成させてから、宮城県知事と仙台市長に、仙台地方は津波から逃れる高台も、警報装置もなく、「津波に対する防災は皆無である」として、津波防災の対策の実施を陳情しました。
「もっときちんと対応してくれていれば…」と無念さをにじませます。
今回の巨大津波について「仙台平野には180年から220年ぐらいの周期で巨大な津波が来ています。歴史から学び、教科書や地方史に過去の津波について書き、教訓にしてほしい。これからはいろんな学問、研究を総合し人間の英知を集めて解明し、行政も賢明な対応を考えてもらいたい」と語ります。