2011年4月1日(金)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
2月末、佐藤忠良さんの名を新聞でみかけました。画家の安野光雅さんが、「日経」の「私の履歴書」に書いていました▼20年ほど前の話です。2人で、佐藤さんが戦後抑留されていたシベリアのバイカル湖畔へ旅したとき。取材に来たロシアのテレビ局が、佐藤さんにききました。「抑留生活は大変だったでしょう」▼佐藤さんは、笑いながらいってのけたそうです。「彫刻家になるための労苦を思えば、あんなものは何でもありません」。その日本を代表する彫刻家、佐藤忠良さんが98歳の大往生をとげました▼腹をすかせデッサンに明け暮れ、彫刻というものを体で覚えこもうと自分にむち打って土や道具と格闘した若いころ。“死んではならない”と心に決め、“日本に帰れなければ歩いてパリへ行こう”とさえ思った戦場の日々。そしてシベリア抑留。佐藤さんには、すべて「彫刻家になるための」一章だったのでしょう▼帰国後の名作「群馬の人」や「常磐の大工」。底光りする庶民の顔は、シベリアの収容所で生地のままの日本人の素顔をみてきた影響だといいます。「帽子・夏」の座る女性や王貞治選手の顔の像、子どもたちの立像をみても思います。佐藤さんの温かいまなざし。が、視線は相手の深くに達し、その奥から立ち現れる人間の心と体の美点を逃さず彫りこんでいるようだ、と▼宮城県生まれ。作品は、震災の被災地にも多い。無事でしょうか。日本共産党を支援された佐藤さん、ありがとう、そしてさようなら。