2011年3月29日(火)「しんぶん赤旗」
屋内退避 動けぬ住民
福島原発被害 民医連が支援
全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)は27日、地震、津波、原発事故の三重苦にさらされている福島県南相馬市を中心に現地調査をおこない、住民や医療・自治体関係者の声を聞きました。医師会との連携も含め、これからの支援に生かします。(大野ひろみ)
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見渡す限りの、泥とがれき。高台の先端を走る道路から1キロメートルほど先に水平線が望めました。
さがしたいのに
「ここには住宅が建ち、松林もあって、海なんか見えなかったんですよ」。案内してくれた南相馬市健康福祉部の西浦武義部長は、ため息をつきました。
高台のすぐ下に建つ老人保健施設「ヨッシーランド」にも津波は押し寄せました。入居者だけで33人が死亡・行方不明になり、職員も犠牲になりました。流された車が建物の中に突っ込み、1階の天井付近に泥水の跡がみえます。
市の一部で重機を使った捜索が始まっていますが、西浦さんは「手がつけられない地域が多い」といいます。
同市は東京電力福島第1原発から半径20キロメートル以内の「避難指示」区域と、20〜30キロメートルの「屋内退避」区域に該当。「避難指示」区域には立ち入ることができず、捜したくても捜せないのです。
同市の沿岸域はほぼ壊滅。死者・行方不明者は1470人を超えています。(28日現在)
政府は「屋内退避」区域の住民に「自主的圏外退避」を呼びかけ、人口7万人のうち5万人がすでに市外に退避しました。街のほとんどの商店が店を閉め、人の姿はまばらです。
そんななか、約2万人の市民が、放射線被ばくの不安を抱えながら自宅や市内の避難所に残っています。
全日本民医連の長瀬文雄事務局長ら調査団は2カ所の避難所に支援物資を届け、避難者に「お困りのことはありませんか」と声をかけました。
「親族5人が津波で流された。『避難指示』区域だから捜せない」「血圧の薬がなくなりそう」「ここにきてから1回しか風呂に入っていないの」。3カ所、4カ所と避難所を転々とした人も多くいます。
患者搬送先なく
「屋内退避」区域にある原町中央産婦人科医院の高橋亨平院長(市医師会長)は、いったん市外に退避しましたが、自問自答した末、3日後に戻ってきました。「動けない人がいっぱいいるんですよ。こういうときこそ、協力してふんばりどきですね」。内科の患者も診察し、点在する在宅の患者の健康管理もおこなっています。「困っているのは、患者さんの搬送先がないことです」などと語りました。
「屋内退避」区域の大町病院は、入院患者125人を群馬県内の医療機関に送り出しました。指示解除後の診療再開に向けて、猪又義光・とし子院長夫妻や事務長らが病院を守り続けています。
とし子医師は、福島県民医連の松本純会長と医大時代の同級生。調査団の訪問と松本会長との再会に「声をかけてくれただけでもうれしい」と笑顔をみせました。
調査団は、市役所で桜井勝延市長と懇談し、全国から寄せられた義援金を渡しました。
県内の民医連の各事業所は、職員も被害を受けながら奮闘を続けています。被爆者医療に携わってきた医師の話を学び、原発事故の不安に応えるとりくみもしています。
わたり病院(福島市)は南相馬市などから人工透析が必要な患者約30人を受け入れました。市の一部が「屋内退避」圏内となる小名浜生協病院(いわき市)は断水が続き、桑野協立病院など郡山医療生協(郡山市)は地震で建物に大きな被害を受けましたが、近日中の外来診療再開をめざしています。
現地調査の後、調査団は、わたり病院で県内の各事業所と交流しました。
全日本民医連の緊急被曝(ひばく)事故対策本部長の小西恭司医師(副会長)は、原発周辺と東北地方の空中や土壌の放射線濃度の正確で迅速な開示を国に求めるとともに、全国の力を結集して被災者の医療、生活支援を長期にわたっておこなうと表明しました。