2011年3月29日(火)「しんぶん赤旗」
船残ったが先見えない
原発事故はあきらめつかない
福島・相馬市の漁師
福島県は農業だけでなく、年間の水揚げが3万9442トン(2009年)にのぼる漁業の盛んな県でもあります。東日本大震災で約7割の漁船が流されるなどの被害を受けました。その上に東京電力福島第1原発事故による海水への高濃度の放射性物質の流出です。
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相馬市内の小学校に避難している男性(60)は15歳の時から漁師一筋。6・6トンの船でカレイの刺し網漁で生計を立ててきました。
11日の大震災では「津波の時は沖へ」の漁師の鉄則どおり相馬港から沖へ沖へと船を走らせました。
男性は「波で陸地はすぐ見えなくなった。船は衝撃でぎしぎし鳴った」と言います。
一晩海をさまよい12日の午前6時に港に帰ってきました。海から400メートルの位置にあった自宅は土台から流され跡形もありませんでした。家族は自宅にいなかったため無事でした。しかし仲間40人が命を奪われました。
「船は残った。でも先が全く見えない。漁が再開できても放射性物質の流出で魚は売れないだろう。売れるようになるまで何年かかるか。みんな言ってるんだ。『地震と津波はあきらめるしかねえ。でも原発事故だけはあきらめつかねえ』って」
エンジンの買い替えで借金のある男性。今後の生活についてうめくように言いました。
「どうしていいかわかんないよ」
福島県漁業協同組合連合会は、漁船の大きさ・隻数制限や稚魚放流など、魚を増やす取り組みや植樹運動、合成洗剤追放運動など海をきれいにする運動に取り組んできました。
新妻芳弘専務理事は「風評被害については東京電力に損害賠償を求めていくことになるだろう。漁業をやめる人も出てくるだろうが、これからやろうという人も出てくると信じるしかない」と話しました。 (柴田善太)