2011年3月26日(土)「しんぶん赤旗」
「自主避難」政府指示に不信
福島・南相馬市
東電福島第1原発の放射能漏れ事故から2週間になる25日、政府は同原発から20〜30キロ圏内の住民に「自主的圏外退避」を呼びかけました。次々と変わる政府の指示に、市内が「避難」指示の20キロ圏内、「屋内退避」の20〜30キロ圏、さらに30キロ圏外に分かれている福島県南相馬市では政府への強い不信の声がわき起こりました。(竹下岳)
市長が抗議
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「原発から20キロは立ち入りできません。注意してください」。30キロ圏内入り口で、白い防護服を着た警察官の検問を受けました。
一瞬、身構えました。両脇に並ぶ商店はすべて閉鎖し、通行人は見当たりません。まさにゴーストタウン―と思っていたら、市中心部のガソリンスタンドには長蛇の列が。
「ここ数日、避難した住民の一部が戻りつつあるようです」。市内に残っている住民の生活支援に奔走する日本共産党の渡部寛一市議は言います。
南相馬市は人口7万人のうち、5万人が避難しました。しかし、政府の避難指示が福島第1原発から10キロ↓20キロと広がり、さらに30キロ圏の屋内退避まで加わりました。避難所を転々とさせられ、市民の疲労は限界に達していました。
生活物資が途絶えている状況は変わっていません。それでも、電力の復旧などもあり、「避難生活よりはまし」という思いが強まっていったのです。
市役所の窓口は、相談に訪れる市民が後を絶ちません。20キロ圏内から仙台市に避難したある住民は、「職場が南相馬にあるので、子どもを近隣の小学校に通わせたい」と、市内の公営住宅の申し込みに訪れました。
その直後の「圏外退避」呼びかけです。「政府は関係自治体に通知したと言うが、聞いていない。たった今、枝野官房長官に抗議した」。桜井勝延市長は憤りを隠しません。
「私たちは、事故当初から20〜30キロ圏の住民にも自主避難を呼びかけてきました。今ごろ政府が自主避難を言い出せば、原発の状況が思わしくないのではないか、という不信感を持ってしまう」
自主避難の場合、政府や東京電力による補償が不透明です。ある市職員は言います。「そんなことなら最初から避難指示を出すべきだった」
このままでは、大量の「原発難民」が生まれかねません。
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