2011年3月25日(金)「しんぶん赤旗」
がれきの街 思い交錯
「思い出の写真 どこかに」 68歳「一から出直しとは」
宮城・気仙沼
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東日本大震災で、宮城県気仙沼市では、大きな船舶が陸地に打ち上げられ無残な姿をさらし、火災が発生した場所ではいまなお焦げ臭さが残っています。
24日、壊滅した同市中みなと町で、涙をふきながら自宅の残留品を探していた年配の女性は「写真とか何かないかと思って…」。それ以上の言葉はほとんど出てきません。
同市では100カ所の避難所に1万5070人が暮らしています(23日午後5時現在)。
1千人が避難する最大規模の避難所、総合体育館。68歳の女性=弁天町=は「この年で一からやり直すなんて…」。
津波に追われて逃げ、整骨院の屋根の上で一夜をあかしました。ぬれた体に降る雪。建物の下は波が行ったり来たり。四方八方、ガスボンベのようなものが破裂し、「煙と火花だった」。自宅は跡形もなくなりましたが、夫と息子夫妻、孫は幸いにも家族全員無事でした。
避難所生活もまもなく2週間。夜になると避難者たちのセキが気になるといいます。「気仙沼は陸の孤島みたいで対応も遅い。他との格差を感じます」
市役所ワンテン庁舎で安否情報の掲示板を見つめ、メモしていた男性(64)=浜町=の自宅もすべて流されました。今は実家のある岩手県一関市に身を寄せています。男性は漁船整備などの自営業。「船が(津波で)陸に揚げられて漁ができない」。かたわらの妻(61)がいいます。「命があるだけで、先は真っ暗。夜になれば生活のことばかり考えています。いまは生きていても地獄だからね、政治にきっちりやってもらいたい」 (竹原東吾)