2011年3月23日(水)「しんぶん赤旗」
被災者がボランティア
岩手・陸前高田
岩手県陸前高田市のある避難所。「ここに避難されているんですか」。声をかけた記者に、高齢の男性は「女房が行方不明で、捜して回っている」と涙ぐみ、安否情報を丹念に見つめていた男性(44)は「父と兄がいない」と疲れ果てた表情を見せました。
同市では22日、なお行方不明のままの家族を気遣い、自転車で避難所を回るなどして、安否情報に目を凝らす被災者がいます。
市内最大規模の避難所となっている市立第一中学校では校庭には仮設住宅の建設が着々とすすみ、医療ボランティアが活動しています。洗濯や風呂などの生活環境も変わりつつあるなか、被災した住民が避難所のボランティアスタッフとして献身していました。
避難所本部庶務事務局長補佐の男性(26)もその一人。母親(58)はいまも行方不明のままです。被災前は大船渡市でビデオ店の店員。市職員も被害を受け避難所運営に満足に関われない状況のなかでいま、メディアへの対応などを担い、走り回っています。
あの日、「ここまではこないだろう」と思っていた大津波は、砂ぼこりをあげ押し寄せてきました。飛び交う悲鳴と怒号。「追いかけっこに近い」状態で、中学校まで続く崖をよじ登りました。「あと1分家に長くいたら死んでいた」。直前まで男性の周囲にいた30人ほどのうち、半分はいなくなっていたといいます。
「先のことを考えると動けなくなりそうだから、自分にできる範囲でプラスになることをやりたい」と男性。「目に見えるところが片づいていけば、先はみえてくる」と前を見つめています。 (竹原東吾)