2011年3月22日(火)「しんぶん赤旗」
アパート入居 病院と連絡 土のう袋配布…
被災住民から次々相談
宮城・塩釜市 曽我ミヨ市議
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港の船が陸に乗り上げる激しい津波に襲われた宮城県塩釜市の港周辺―。住民の顔をよく知る日本共産党の議員として、曽我ミヨ市議(61)は、被災住民から次つぎ寄せられる相談に、寸暇を惜しんで奔走しています。
20日は四十数人が避難している港町の笹(ささ)かまぼこ店の建物へ。大手の水産加工業者です。指定の避難所ではありませんが、車で逃げ遅れた人は亡くなり、ここに上がった人は助かりました。1階の事務所や機械を損壊した社長は、店の再建に不安を抱えながら、地域に電気、水が通るまで避難者を受け入れています。
「アパートに入りたい人はいますか」。曽我市議が3階の食堂にいる人たちに話しかけると、「ひと間でもいいから」と切実な声が出されます。震災後に体調を崩した82歳のお年寄りには、血圧の薬が切れたら病院へ行くように診察の日を確認しました。
曽我市議がいま力を入れているのが、一人暮らしで家に戻れない人のアパート探しです。「とりあえずお釜とガスと電気がある部屋があれば」という思いからです。70代の女性は、相談にきた17日に、曽我市議が電力会社の出先に手続きし、その夜から入居できました。すでに10件近い入居の相談が入り、つかまえづらい大家さんとの間で「なんとか早く」と努力しています。
曽我市議は震災直後から、避難所の第3中学校で炊き出しを手伝ったり、避難所にいる病人の薬やインスリンの注射針などの入手のために病院との連絡を取ったりと活動してきました。地域の材木屋さんに「不要の木を分けてほしい」とかけ合い、避難所で暖をとるのに役立ててもらいました。着の身着のままの寒そうな避難者には、手ぬぐいを首にまいてあげて励ましています。
ガレキや泥を片付けるためのゴミ袋がほしいという住民の要求には、副市長から直接預かった400袋の「土のう袋」を2日間で配布して、住民からも行政からも感謝されました。
曽我市議と活動をともにしている党南部支部の長沼俊郎さん(60)は、「災害現場を歩いている曽我さんは、人の名前、顔、お年寄りの健康、心配まで頭の中に入っている。困っている人のために市とかけ合い、調整役を果たしています。住民のため、地域密着とはこういうことなんですね」と話し、自らも党員としての生きがいを感じて、救援活動に加わっています。(浜中敏)
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