2011年3月21日(月)「しんぶん赤旗」

岩手 大槌高校の生徒たち

避難生活支える

水くみ・物資運び…率先


 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大槌町に20日、本紙記者が入りました。津波は内陸約110ヘクタール以上をのみ込み、町のほとんどを消滅させていました。命からがら逃げ出した住民たちは、避難生活を支えあっています。


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(写真)避難所で水を運ぶ大槌高校の生徒=20日、岩手県大槌町

 大槌町では20日も自衛隊によるがれきの撤去や捜索活動が続いています。中心部ではほとんどの家がただの泥地と化していました。町役場には、がれきの山が突っ込んでいました。

「ここまでとは」

 「なにかあるかと思ってきたが、泥だけだ。何も残ってないね」。20日、中心部に初めて自宅を見にきた男性(78)はいいます。「70年住んでいて、津波はあると聞いていたが、ここまでとは」

 公民館に避難する女性(67)は「自転車を飛ばしたけど、津波に捕まった。だから泳いだの。車や丸太が流れてきた。学校の教頭先生が縄をつけた浮き袋を投げて、助けてくれた」とその時を語りました。「ずぶぬれになって、避難所についたのは午後7時くらい。いまの生活は戦争当時より悪い。家も流れてねえ」

 高台にある大槌高校。避難者によると、被災後2、3日は山の水をくみ、おにぎり一つを2人で分け合ってしのいでいました。3日たって初めて食べ物を口にしたという男性避難者もいました。現在は食料や衣服などの支援が届き、ガソリン不足は続いているものの20日には灯油も到着していました。

 町内の避難所では沖縄県医師会などが医療支援を始めています。愛知県から料理をつくりにきた外国人のグループもいました。

 そんななか、「大槌高校の生徒たちが一生懸命、水くみや掃除、物資運びをがんばっているんですよ」と同校避難者の男性(62)が教えてくれました。

「精いっぱい」

 水くみ場で同校2年、サッカー部マネジャーの女性(17)に話を聞くと、40人前後の生徒が「みんな、自分たちがやらないとだめだと思って」、話し合ったわけでもなく初日から避難所の仕事を始めたのだといいます。

 「気付いたら仲間を呼んで一緒にやるし、少しまとまって動くようになっています。中学生はローテーションを組んで水くみしています」

 女性マネジャーは母親が行方不明。いま周りから「働きすぎ」といわれます。

 「動いて、人のためにやっているほうが、まだ自分が楽なので。考えちゃうので」

 先のことも考えられません。「いまのことで精いっぱいですから」(井上歩)





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