2011年3月21日(月)「しんぶん赤旗」

きょうの潮流


 「3」の数字が続く1933年3月3日午前3時ごろです。昭和三陸津波が襲ってきました▼死亡・行方不明3000人あまり。時の社会のなりゆきが影響をおよぼした震災でした。「満州事変」から1年半。日本は、中国への侵略を広げ、同じ3月の末に国際連盟を脱退します。東北地方は、飢えと貧困の中にありました▼いま宮古市に入っている岩手県田老(たろう)村の被害が、もっともひどい。男性の多くが中国に出征していた、女性・老人・子どもの村。10メートルを超す津波。村は、役場と小学校とお寺を残してそっくり波にさらわれ、「原始の砂浜」と化しました▼村に、東京から医師や看護師がかけつけます。肺炎などの重病人を1日も早く1人でも多く助けたい、と。日本共産党の指導でつくられた、日本労農救援会準備会が送った3人です。さっそく、役場で診療を始めます。ところが、わずか3時間後、特高警察に逮捕されます。順番を待つ被災者の列を後に残して▼日本共産党員の作家、小林多喜二の虐殺から1カ月もたたないうちの出来事です。特高警察には、被災者の命より弾圧の手柄が大事でした。三陸で救援活動に携わっていた、300人以上を逮捕します▼しかし、機関紙の「赤旗(せっき)」で「救援闘争をおこせ!」とよびかけていた日本共産党は、活動をやめません。「赤旗」は求めました。国民が軍部に出す国防献金や軍事費を、被災者救済に振り向けよ。78年後、救いを待つ東日本の被災地に、人道の伝統脈打つ党員たちがいます。





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