2011年3月20日(日)「しんぶん赤旗」
その日に生まれた子
周りに感謝できる人に育って
多数の尊い命が犠牲になった東日本大震災発生の11日に、宮城県塩釜市で新しい命が誕生していました。 震災当日、女性は出産予定日を翌日にひかえ同市の坂総合病院を受診。「まだ産まれそうにない」との診断だったので、早く産まれてほしいとの思いから202段の階段を上って塩釜神社で安産を願いました。
その帰り道に本塩釜駅前でとどろくような大地の揺れに遭遇。津波が来たという声を聞いて、上の2人の子どものことを心配しながら、余震が続く中を塩釜第三中学校の避難所に向かいました。
「着いてやっとゆっくりしようと思ったのもつかの間、急におなかが痛くなって」。子どものことが気がかりで病院に行くのをためらいましたが、陣痛に間違いないという避難所の人たちの助言もあり、午後5時ごろ避難所に近い同病院へ。子どもたちの通う保育園には実家の祖父が迎えに行ったことを聞いていましたが、電話も通じずサイレンが鳴りっぱなしで、分娩(ぶんべん)中も気が気でなかったといいます。
日付が変わる直前の午後11時44分、無事、男児が誕生。体重は3422グラムでした。坂総合病院の医師も「こんな大変なときに、よく無事に産まれた」と喜んでくれたといいます。
すやすやと眠っている男児を見つめながら女性は「いろんな人に助けてもらって生まれたんだから、家族や周りの人に感謝できる人に育ってほしい。この子が大きくなったときに、たくさんの人が亡くなった地震の日に生まれたことを知ることになると思いますが」と涙で言葉をつまらせながら語りました。 (岡素晴)