2011年3月15日(火)「しんぶん赤旗」
“家がなくなって…”
1万3700人が避難所に
宮城・東松島
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東日本大震災で市内の沿岸部が壊滅的被害を受けた宮城県東松島市では14日も懸命な行方不明者の捜索が行われています。被害が多いとされる大曲地区を歩きました。
津波に突き壊された廃虚と泥が一帯に広がる大曲地区。道路の脇は泥と壊れた家の木材が山積み、川や用水路に突き刺さった車も目立ちます。地区の各所にとまった救助車両では、遺体発見の無線連絡が交わされていました。
この地区に住む69歳の女性は夫を捜しに12日から連日、避難先から通っています。「地震の時に夫は私が自宅にいると思って助けに来たのかも。家がなくなって捜しようがない」と語りながら、泥の海となった住宅地を歩きます。
市によると同日朝までに市内の体育館に運び込まれた遺体は約200体といいます。体育館の塀には安置された遺体の特徴や発見場所を記した張り紙がされ、食い入るように捜す住民の姿がありました。身元確認のできた遺体の張り紙の中には大曲地区の小学校付近で遺体が発見された男子小学生(12)や2歳の子どもの名前もありました。
背中と両手に3人の孫を連れた女性(60)は、行方不明の夫(59)を捜すため掲示板を真剣に見つめていました。
女性は「夫は、地震のあと船を見てくると言って車で出て行ったきり。所在がわかればと思って来ましたが…」と、涙をぬぐいました。
市の担当者は、消防隊や自衛隊の捜索は13日に始まったばかりで、被害者は今後さらに増えると予想しています。
市内には77カ所の避難所に1万3700人が避難しています。
避難所には、家族の安否を捜す人が次々と訪れます。避難所間の情報共有の無さに不満を感じる人も少なくありません。
市役所の安否情報の窓口には20人ほどが列をつくります。
女性(49)は、窓口から目を真っ赤にして飛び出して「義理の妹が無事だったんです。4カ月の子どもと一緒に津波に流されて、引っ掛かった家の屋根によじ登って助かったという話です。おむつがないというので、そのことが心配です」と話しました。(矢野昌弘、岡素晴)