2011年3月13日(日)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
寝付かれない夜を過ごしました。津波、火災、原子力発電所の故障、余震。一切がただ一昼夜の悪夢であればいいのに、と思いながら▼夜明けとともに、テレビが三陸の町を映し出す。「1000年に1度」「阪神・淡路の180倍の規模」という巨大地震の破壊力。1人また1人と助け出されるたびに、一瞬、肩の力がぬけます▼手元にあった、『津波てんでんこ 近代日本の津波史』(山下文男著)を開きました。本に載る1896年明治三陸大津波の写真といまのテレビ映像に、違いはありません。津波は、自然と人間との原初の関係をあらわにします▼「てんでんこ」とはもともと、「てんでに」の意味といいます。津波に襲われたら、1人でも多く生き残るため、人のことにかまわずてんでに逃げる。「津波てんでんこ」です。かわいい響きの東北弁ですが、なんと悲しい教訓を物語る言葉でしょう▼あってはならないこと、しかし、“もしや”とおそれていたこと。それが起こってしまったのか。「福島第1原発で爆発」のニュースに身震いしました。いったい、なぜ。どうなっているのだ。知らされないままたってゆく不安な時間の、長かったこと▼まだ大勢の人が、助けを求めています。『津波てんでんこ』は、明治三陸大津波の出来事を紹介しています。唐桑村で19歳の女性が入浴中に津波にあい、一命をとりとめたものの家はつぶれてしまう。2歳の幼児の命もないとあきらめ、遺体を掘り探していると、わが子は生きていた―。