2011年3月12日(土)「しんぶん赤旗」

予想超す揺れ 未曽有

巨大津波 列島数百キロ


 11日午後2時46分ごろ、宮城県牡鹿半島の東南東130キロ付近の海底を震源とするマグニチュード(M)8・8の巨大地震とそれに伴う大津波が発生しました。過去、日本で発生した地震の中でも最大級です。これまで予想されていた地震を大きく上回る未曽有の地震です。


 気象庁によると、今回の地震は地震の規模を示すマグニチュード(M)が8・8でした。これだけ大きな地震が起こったのは、1854年12月23日と24日に東海から四国の沖にかけて相次いで発生した「安政東海地震」(M8・4)と、「安政南海地震」(M8・4)以来です。日本で起こった地震としては最大の未曽有の地震となりました。

 午後4時からの記者会見などで同庁は、地震の分布域が、東北地方から関東地方にかけての太平洋側沖で数百キロの広い範囲に広がっていることを明らかにしました。

 東北地方の太平洋岸では、宮城県牡鹿半島沖を震源とするM7・5前後の「宮城県沖地震」が近い将来起こると予測されていました。日本列島の下に太平洋プレート(岩板)が沈み込むのに伴って、プレート境界にたまったひずみが限界に達することにより、周期的に巨大地震が発生するためです。

 宮城県沖地震はこれまで25〜40年という周期で起こっており、10年以内に発生する確率は70%程度、30年以内では99%と見積もられていました。

 『理科年表』(丸善)によると、1978年6月12日に起こった「1978年宮城県沖地震」はM7・4で、宮城県を中心に死者28人、けがをした人1325人、全壊した住宅1183戸、半壊した住宅5574戸などの被害がでました。

 宮城県沖地震が、10年以内での発生確率が30〜40%、30年以内の発生確率が80〜90%とされる三陸沖南部海溝寄り地震と連動した場合、M8・0前後の地震となると予測されていました。

 また、三陸沖から房総沖の海溝寄りではプレート境界で起こるM8・2の津波地震の30年以内の発生確率が20%程度、プレート内で起こるM8・2前後の「正断層型地震」の30年以内の発生確率が4〜7%とされていました。(間宮利夫)

図

   プレート境界型の地震と津波が発生するしくみ(文部科学省パンフレットから)

数十センチでも人のまれる危険

 白い壁となって襲いかかる津波。岸壁のうえに横倒しになる漁船。浸水した家々――。11日の東北地方太平洋沖地震津波の災害は、時間の経過とともにその爪痕の深さがあきらかになっています。

 沿岸の建造物とともに大きな人的被害をともなう巨大津波の危険。今回悲しい形で浮き彫りになりました。

 津波のもつエネルギーは、主に地震の規模(マグニチュード)によって決まります。津波は水深の深いところでは時速数百キロメートルもの速さで伝播(でんぱ)します。海岸に近づくにつれ、水深や地形による増幅効果等により何倍もの高さとなり、第1波よりも後続の波の方が高くなることがあります。

 陸上にあがった津波のスピードは時速36キロにもなり、普通の人が走って逃げることはむずかしく、津波が海岸にくるのを見てから避難を始めても間に合いません。日本沿岸で発生した地震による津波は数分程度で到達するなど時間の余裕がなく、短時間での避難が不可欠です。

 内閣府の「津波防災に関するワーキンググループ」の報告書によると、過去に死者100人以上の津波災害が7回発生。1896年の明治三陸地震津波(最大津波高38メートル)は日本の津波災害史上最大の死者2万1959人を記録。1933年の昭和三陸地震津波(同29メートル)では死者・不明3064人、1944年の東南海地震津波(同9メートル)は死者1223人。1946年の南海地震津波(同6・5メートル)は死者1330人。1983年の日本海中部地震津波(同13メートル)は地震による死者104人のうち津波による死者が100人、1993年の北海道南西沖地震津波(同13メートル)でも死者・不明230人のうち142人が津波によるものでした。

 津波は、津波高が数十センチでも流速が大きい場合、おとなでも立っていられないほどの威力があります。

 日本海中部地震津波では、青森県岩木川の河口で釣り人6人が数十センチの津波にのみ込まれ、3人が亡くなるケースもあり、一刻も早い避難が津波防災の鉄則です。(宇野龍彦)

地図

(地震調査研究推進本部の資料から)



図




もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp