2011年3月7日(月)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
江戸時代は宿場町でにぎわった、東京の八王子市。生糸を横浜に運ぶ「絹の道」でも栄えた町は、先の大戦で空襲にあいました▼1951年、焼け野原から立ち上がった市の議会選挙に、初めて日本共産党員が出ます。公認と無所属の4人。しかし、全員落選。次の選挙は1人にしぼりますが、惜しくも届きません▼そして59年、前回に続いて挑んだ宮田勝さんが、初の議席を得ます。その宮田さんが先ごろまとめた『日本共産党八王子市議団奮戦記 七期の歩み』は、議会を変えてきた党の姿を今に語り継ぎます▼生活保護の底上げや消防の充実。公費の無駄遣い批判。議会に新風を吹き込む宮田さんはある日、元市長によばれました。「一度ゆっくり話がしたい」。会ってみると、「宮田の質問は議会で一番憎たらしいと思った。しかし正論だったよなー。…だから懐かしい」▼以来、選挙を重ね、今は5人の議員団に。料亭政治の廃止。多摩で初めての機械ごみ焼却炉の導入。保育園づくり。国民健康保険の改善、世界遺産級の高尾山の自然をまもる運動…。議員団は、古くさい習わしを改め、社会と地域の変化にみあった町づくりにつとめてきました▼とはいえ、苦い経験もあります。5人当選をめざした75年選挙で、得票を伸ばしながら4人落選。5人当選は、87年までおあずけとなります。日本共産党の議席の重みを、つくづく思い知らされる『奮戦記』です。さて、みなさんの町や村には、どんな戦後史と党議員の足跡があるのでしょう。