2011年2月19日(土)「しんぶん赤旗」
「密約文書隠し」 外交文書は語る
外務省「想定問答」まで作成
共産党調査に危機感
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日本共産党の志位和夫委員長が1997年11月の記者会見で明らかにした米外交文書は、在日米軍が事前協議なしに朝鮮半島や台湾、ベトナムへの自由出撃を容認する密約が存在しており、このうち朝鮮半島の自由出撃密約は、当時の岸信介首相の名を取って「岸覚書(キシ・ミニット)」と呼ばれていたことを初めて明らかにしたものでした。
外交文書で明らかになったように、外務省は志位氏の記者会見の翌日、駐米大使に、日本共産党が明らかにした文書7点の入手と米側との対応の「調整」を至急電報で指示していました。この対応自体、共産党の調査発表が与えた衝撃の大きさを物語っています。
その結果、斎藤邦彦大使は11月17日に外相宛てに調査によって得た米資料を送っています。にもかかわらず、同日、外務省は「そもそも、事前協議に関する密約がないことは明らかであり、政府としては、御指摘の文書を入手する必要はないものと考える」という「想定問答」をつくっていたのです。これは、密約を隠すための国民だましにほかなりません。しかも、国会でも日本共産党の古堅実吉議員に虚偽答弁を行っていたのですから、二重三重に重大です。
入手せずと説明
外務省北米1課が98年1月5日付で作成した文書「沖縄返還に関する日米間のやりとり」で示された、日本共産党の立木洋参院議員(当時)への対応はさらに露骨です。
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同文書では「共産党が資料要求している沖縄返還交渉をめぐる記録(注 立木議員は別紙資料の通り13件の提出を求めている)…」のうち6件を添付して、その概要を記しています。ところが同文書の上部に手書きで、「立木議員に対しては入手せずと説明」と記しているのです。
ここに添付された6件のうち4件はすでに米国が情報公開法に基づいて公開している外交文書です。それにもかかわらず、米解禁文書を含めて「取扱注意」の指定で、今日まで隠されてきました。
当時の外務省はなぜ、ウソをついてまで文書入手の事実を隠したのでしょうか。
今日では広く知られている日本への核持ち込み密約などは、関係者の証言などはあったものの、決定的な証拠は明らかになっていませんでした。
90年代に入って米国で情報公開が進み、国会では日本共産党が米解禁文書を駆使して日米安保体制の虚構を暴いてきました。
志位氏が明らかにした文書も97年7月から8月にかけて日本共産党が調査チームを米国に派遣して入手したものです。
志位会見で明らかにした「キシ・ミニット」はその後、08年に名古屋大学大学院の春名幹男教授が原文を入手し、外務省も昨年3月の有識者委員会報告で「密約」だったことを認めました。
また、立木氏が要求した米側文書のうち、69年1月11日付愛知揆一外相とロジャース国務長官の会談記録では、愛知氏が沖縄返還後も米軍による基地の自由使用と核保有を容認する「フォーミュラ」(密約)を示唆していたことが示されていました。
徹底した調査を
これ以外にも、18日に公開された外務省の文書には、核搭載艦船の日本寄港を容認する密約の存在などを示した97年当時の古堅実吉衆院議員や緒方靖夫参院議員の質問に対する対応ぶりなども記されていました。
つまり、これらを外務省が入手し、事実経過を確認すれば、密約の存在を認めることになってしまう―。そのような“危機感”が外務省内にあったことがうかがえます。
外務省は、「公開された文書についてはコメントしない」との立場ですが、日本共産党に対する一連の対応は国政調査権を否定するような対応です。実際は入手していながら、その事実を隠していた事例は他になかったのか。そのような行為を繰り返さないためにも、政府は徹底した調査を行うべきです。(竹下岳)
対米関係のため平気で国民欺く
元党衆院議員古堅氏が批判
志位さんが記者会見で示した文書は重大だったからこそ、外務省もただちに文書を取り寄せた。それなのに、私の質問に対して、「文書を入手する必要がない」と答弁していたのです。議事録を読み返して、あらためて憤りを覚えました。
志位さんは、日米安保体制という国政の根幹にかかわる問題で明確な証拠を出して問題提起しました。これに対して政府も、きちんとした論拠を示して正面から議論すべきでした。ところが、「文書はない」とのウソをついて逃げ回った。
国権の最高機関である国会でウソをつくのは、国民を欺くことです。絶対に許されることではありません。
先日、鳩山由紀夫前首相が沖縄の海兵隊を「抑止力」だったのは「方便」だったと述べて沖縄に怒りと衝撃が広がりました。対米関係のためには国民を平気で欺く姿勢は、民主党政権も同様です。