2011年2月7日(月)「しんぶん赤旗」
海兵隊沖縄配備
西太平洋へ最短で殴り込み
50年代米文書で判明
沖縄が米本土以外で唯一、米海兵隊の拠点とされたのは、1953年7月に休戦した朝鮮戦争後の米軍再配置のなかで、西太平洋全域に最短時間で殴りこめる拠点を確保するために、米国の最高決定機関の一つである国家安全保障会議(NSC)が決定したためであることが複数の米側文書で明らかになりました。
在沖縄海兵隊の母体になった第3海兵師団は53年8月、富士演習場(静岡県、山梨県)など本州に配備されました。「(朝鮮戦争に参戦している)第1海兵師団を支援する」(海兵隊略史)ためでしたが、米軍の統合参謀本部は朝鮮戦争の休戦に伴い、第1師団を引き揚げる一方、第3師団は当時、米占領下だった沖縄に配備するよう提案しました。
これに関して、55年10月21日に東京の極東軍司令部内で行われた米下院軍事委員会小委員会に対する在沖縄米軍の説明記録は、「即応部隊である海兵隊は三つの師団を、最短の通知で紛争地域に移動できる場所に置いている。一つを米東海岸に、もう一つを西海岸に」と述べた上で、「戦略的な位置という明確な理由から、沖縄はNSCによって西太平洋における即応部隊=第3海兵師団の基地として選ばれた」と明記しています。
さらに、「いつでもどこでも(海兵隊の)強襲揚陸作戦の必要性が生じた場合に備える」として、「天願」「金武湾」「辺野古」「イーズリー射撃場」といった沖縄本島東海岸や「北部訓練場」を列挙。約1万8000ヘクタール(沖縄の現在の基地面積は約2万3000ヘクタール)の基地建設計画を示しました。このうち約82%は私有地や公有地で、土地の新規接収を示唆しています。
また、バンフリート退役将軍らによる極東の兵力再編に関する報告書(54年4〜8月)は「沖縄は大いなる潜在性を有しており、中国中南部での作戦の兵たん基地になる」と指摘しています。
菅民主党政権は、沖縄への海兵隊駐留は日本を守るための「抑止力」だとして正当化しますが、当初から日本防衛とは無縁のアジア太平洋全域への殴り込みを想定して沖縄に配備されていたことが明白になりました。
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