2011年2月2日(水)「しんぶん赤旗」
主張
「日の丸・君が代」判決
強制を続けていいはずがない
約400人の都立学校の教職員が、東京都による「日の丸・君が代」強制にしたがう義務がないことの確認等を求めた裁判で、東京高裁は1月28日、請求を退ける判決をだしました。
一審の東京地裁では、東京都教委の「通達」による「日の丸・君が代」の強制を、違憲・違法と断じました。二審の不当判決で一審判決は取り消されました。たたかいは最高裁へ移ります。
通用しない判決の主張
「日の丸・君が代」問題での都教委の強制ぶりは、全国でも異常で、目に余るものでした。発端は2003年の「通達」(いわゆる「10・23通達」)です。都立学校の入学式・卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱の方法や会場設営まで細かく決めたものです。いらい入学・卒業式はがらりとかわりました。
以前はたとえば「フロア形式」の式がありました。卒業生と在校生・保護者・教職員がむきあい、見つめあいながら、一人ひとりの成長をかみしめる感動にあふれていました。卒業生の作品で飾られた式もありました。
しかし「通達」後、そんな式は禁じられます。「通達」が「生徒は国旗のある舞台正面をむいて着席」などと画一化したためです。そのうえ都教委は「監視要員」を全校に派遣し、服従しない教職員を次々に処分していきました。
都教委「通達」は、「教育の自由」と「思想・良心の自由」という大きく二つの点から問われ、一審では違憲・違法と判断しました。
二審の判決は、都教委による画一化は創造的な教育活動の侵害ではないと言っています。しかし、「フロア形式」の式は創造的な教育活動そのものです。その禁止が創造的な教育への侵害でないなら、何を侵害というのでしょう。
また判決は、「通達」は創造的な教育の余地を全く残さない教育への介入とはいえず、合法だといいます。各学校での式典の最終決定者は校長です。その校長の権限すら認めない「通達」は、どうみても「不当な介入」そのものです。
「思想・良心の自由」の問題では、二審判決は国歌斉唱など全国的にスポーツ大会でも行っているから、強制はさほどの問題ではないという立場をとりました。
しかし、国旗や国歌は国民への強制を伴わないことが近代社会の原則です。国旗・国歌法制定の際にも政府は、そのことを国民に約束しました。「日の丸・君が代」は侵略戦争の手段として使われた歴史があります。国民の中にある拒否感には、客観的根拠があるといわなければなりません。それを「多くの人がやっているのだから」と押し流してしまったのでは、人権を救済すべき司法が泣きます。
個性豊かな教育のために
「日の丸・君が代」の強制は、今では生徒にも及びはじめています。挙手採決さえ禁じられた都立学校の職員会議では自由な雰囲気が影をひそめ、形式主義や事なかれがはびころうとしています。
都立校は個性豊かな卒業生を世に送りだしてきました。そのひとりである歌手の忌野清志郎(いまわのきよしろう)さんは、遅刻の多い自分を困った顔をしながら叱ってくれた先生らしくない恩師を、名曲「ぼくの好きな先生」で歌いました。強制の果てには「ぼくの好きな先生」の居場所がありません。その道を続けていいのか、考える時です。