2011年2月1日(火)「しんぶん赤旗」
主張
「赤旗」創刊83周年
希望と勇気を運びつづけて
「しんぶん赤旗」は、1928年2月1日の創刊から、きょうで83周年を迎えました。
日ごろのご愛読に感謝します。昨日付の「読者の広場」でもみなさんの声を特集しましたが、「『赤旗』は自分の知りたいことが書いてある」「生きる希望と勇気がわいた」といっていただくことが、私たちの喜びです。ひきつづき一人でも多くの方に読んでいただけるよう、力を尽くしていきます。
激動と模索のなかで
日本共産党(1922年創立)の機関紙として「赤旗」が創刊されたのは、戦前の天皇制政府が台湾や朝鮮に続き、中国大陸への本格的な侵略を開始しようとしていた時期でした。「赤旗」は創刊のときから侵略戦争と植民地支配に反対し、「国民が主人公」の社会を求めて論陣を張りました。
当時の政府はそうした活動を押さえ込もうと弾圧を繰り返しました。「政友会」「民政党」などの政党が軍部のお先棒を担ぎ、マスメディアも侵略戦争推進の「翼賛」体制を鮮明にするなかで、日本共産党と「赤旗」は、戦争反対の旗を掲げ続けました。
「赤旗」を通じて「大衆の前に公然現われ」た(「赤旗」創刊の辞)日本共産党の活動を、戦後の著名な評論家は「北斗七星」にたとえ、自民党の党員向け教科書でさえ「道徳的権威を持っていた」と書きました。「赤旗」が国民に希望と勇気を届けたことは明らかです。
歴史の大局に立ち国民と新しい政治を探求するとともに、「国民の苦難あるところ『赤旗』あり」の立場でたたかいを起こしていくことこそ「赤旗」の伝統です。
戦後も日本共産党の活動再開とともに再刊された「赤旗」は、日米安保条約=軍事同盟に反対するたたかいや、「高度経済成長」政策、「臨調『行政改革』」など財界・大企業本位の経済政策に反対するたたかいなど、国民とともに情勢を切り開いてきました。戦後長きにわたった自民党の政治に一昨年ついに終止符を打ったのも、こうした国民の世論と運動の結果です。
いま世界も日本も大きな激動の中にあります。日本では自民党から民主党に政権が代わっても政治は変わらないという「閉塞(へいそく)」感が広がっていますが、それも新しい政治を求める、国民の真剣な模索と一体です。
民主党政権が国民の失望と怒りを買っているのは、対米従属・財界本位の政治の異常を抜け出していないからです。政治の異常を正してこそ、「閉塞」が打開できます。その展望を明らかにしていけるかどうかは、政党やマスメディアの値打ちをはかる大事な目安です。
「翼賛」体制打ち破り
重大なのは、民主党の菅直人政権がアメリカや財界の軍門に下り、異常な政治の執行者としての役割をいよいよ鮮明にするとともに、自民党や公明党、みんなの党などの政党や巨大な部数をもつ全国紙が、戦前と同じような「翼賛」体制を強めていることです。菅政権に消費税増税や環太平洋連携協定(TPP)参加で「有言実行」を迫った全国紙がその典型です。
真実を伝え、権力を監視し、国民に希望と勇気を届ける「赤旗」の役割はいよいよ重要です。
来年は党創立90周年、再来年は「赤旗」創刊85周年です。新しい節目に向かって、「赤旗」は今後も前進を続ける決意です。