2011年1月25日(火)「しんぶん赤旗」
幸徳秋水の志引き継ぐ
大逆事件刑死100年 墓前祭
高知・四万十市
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幸徳秋水(1871〜1911)が「大逆事件」の首謀者として処刑されて100年にあたる24日、出身地の高知県四万十市で、「幸徳秋水刑死100周年記念事業実行委員会」が主催し、墓前祭が行われ、大勢の市民らが参列しました。
四万十市は、田中全市長を実行委員長に官民12団体が実行委員会をつくり、秋水の偉業を伝える啓発事業やシンポジウムなどを、今年1年間を通じて行っています。
田中実行委員長は「秋水先生は日露戦争にも勇気をもって非戦論を唱え、非戦・平和、自由平等の思想の広がりを恐れた明治政府によってつくられた大逆事件の犠牲になりました。先生の志を引き継ぎ自由・平等・博愛の世界実現に取り組んでいきます」と追悼のあいさつをしました。
遺族や市民、大逆事件の研究者らとともに、日本共産党を代表して岡本かずや党幡多地区副委員長が献花しました。
日本共産党の志位和夫委員長がメッセージ(別項)を寄せました。
自由民権記念館友の会の窪田充治会長(79)は「100年前に戦争の本質を見抜き非戦論を唱えた秋水の思想は現代にも生きるものです」と話していました。
志位委員長がメッセージ
幸徳秋水が大逆事件で刑死して百年を迎えるにあたり、墓前祭へのごあいさつを申し上げます。
幸徳秋水は、日本における社会進歩の運動のさきがけの一人でもあります。師である中江兆民の自由民権論を継承・発展させ社会主義へすすみ、『廿世紀之怪物帝国主義』『社会主義神髄』などの啓蒙(けいもう)書を著し、マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』を初めて翻訳し、紹介に貢献しました。
また、日露戦争時に、幸徳秋水が堺利彦らと「平民新聞」を創刊し、日本とロシアの人民はともにこの戦争に反対し両国の専制政府とたたかおうと、反戦闘争の先頭に立って「非戦」の論陣を張ったことは、わが国の近代史に特筆すべきことでした。
反戦平和が世界の大きな潮流となっている今日、幸徳秋水の反戦の活動は、歴史のなかで新たな輝きをまし、私たちの反戦平和のたたかいを力強く励ますものとなっています。
2011年1月24日
日本共産党幹部会
委員長 志位和夫
大逆事件 1910年、明治天皇の暗殺を計画したとして全国数百人の社会主義者・無政府主義者が検挙されました。11年に幸徳秋水ら12人が死刑、12人が無期懲役、2人が有期刑にされた弾圧事件。