2011年1月16日(日)「しんぶん赤旗」
主張
スポーツ予算
貧困な枠組みを転換してこそ
2011年度の政府のスポーツ予算案が提示されました。文部科学省がかかげる「スポーツ立国戦略」の元年度予算という触れ込みです。
しかし、その総額は従来の低い水準を抜け出せていません。文科省は「過去最高の279億円を確保」といっていますが、総合体育館の一つが建つかどうかといった程度の少ない額です。前年度比で0・5億円増、伸び率はわずか0・2%にとどまります。
“目玉”事業も大幅縮減
特別枠で54億円を要求していた「元気な日本スポーツ立国プロジェクト」の新規事業も、半減以上の22億円に縮小されました。そのなかで、「立国戦略」が重点施策にかかげる、トップアスリートを拠点クラブや学校に派遣する「スポーツコミュニティの形成促進」は、概算要求では27億円をかけた事業だったのが、6億円にしぼんでいます。
一方、事業仕分けで「重複事業」だとされた総合型地域スポーツクラブの育成支援は削減され、もっぱら「サッカーくじ」の収益金でまかなうことにしています。財源が不安定では、地域にしっかりと根をはったスポーツ振興事業が軌道に乗るはずもありません。
“目玉”の事業さえも大幅に縮減され、低く抑えられた予算案からは、10年がかりで「すべての人びとが参画する新たなスポーツ文化の確立を目指す」という「立国戦略」の具体的な姿は、まったく見えてきません。むしろ、スタート段階から大きな壁にはねかえされた感じです。
もともとスポーツ予算の貧困な枠組みは、自民党政治がつくった負の遺産です。それを政権が代わっても打開できていないところに、問題の根本があるといえるでしょう。この枠組みにメスを入れて抜本的に見直さないかぎり、国の施策が果たすべきスポーツ発展の展望を切り開く役割は後退するだけです。
日本のスポーツ行政の最大の弱点は、国民のスポーツをする権利を保障する見地が欠落していることです。そのためにスポーツ施設の整備や指導者の養成・配置という国の基本施策が座らず、それが予算を貧困にしています。予算水準を大きく引き上げるには、スポーツの権利保障という見地を国の施策につらぬくことが大事です。
競技力向上にかかわる予算も少なすぎます。それは、系統的な選手養成制度の確立、競技者の雇用の安定と生活保障の充実、スポーツクラブや団体の自立への援助など、社会的支援が求められている施策がないからです。わずかな補助金で選手にメダル獲得を押しつけるのではなく、競技力向上の環境整備にもっと国の施策の光をあてるべきです。
古い政治ではなく
スポーツ予算が低い水準に抑え込まれている大もとには、国民の雇用や福祉を犠牲にし、大企業奉仕に走る政治の古い枠組みを民主党政権が引き継いでいる問題があることを指摘しなければなりません。この政治の枠組みを替えてこそ、スポーツの位置づけは大きく飛躍することになるでしょう。
大仰な言葉の独り歩きではなく、国民の期待にこたえる国のスポーツ施策の充実と、それにふさわしい予算の確保にむけて、声をあげ、力を注ぐときです。