2011年1月15日(土)「しんぶん赤旗」
福知山線事故
カーブめぐる証言矛盾
JR西前社長公判 遺族「真実を」
2005年、兵庫県尼崎市のJR福知山線で列車が脱線し、乗客と運転士107人が死亡した事故で、業務上過失致死傷罪に問われているJR西日本前社長、山崎正夫被告の第3回公判が14日、神戸地裁で行われ、検察側の2人の証人へ尋問が行われました。
当時JR西日本建設工事部土木課で、事故現場のカーブの半径を半分に変更した工事を設計した岩本幸夫氏が証言。工事について運輸省(当時)近畿運輸局は法令違反の有無などを審査するだけで、カーブの危険性やATS(自動列車停止装置)設置の必要性などは審査しなかったとのべました。
一方、岩本氏は、カーブ半径の半減により制限速度が時速95キロメートルから70キロメートルに変更された際に制限速度標識を設置した理由について、検察調書と矛盾する証言をしました。調書で岩本氏は「運転士が制限速度の変更を忘れてカーブに進入すれば列車が遠心力で脱線し、乗客に危険が及ぶかもしれないと思った。そのため、標識を設置したほうがよいと考えた」などとのべ、カーブの危険性やATS設置の必要性を認識していたことを明らかにしていました。
ところが、この日は検察官の尋問に対し、標識設置の理由を「わからない」と繰り返し、調書での自身の発言については「いっていない」「記憶があいまい」とのべ、検察官から、調書の内容に同意の上署名・押印したはずだと指摘されました。
続いて、福知山線が東西線と直通運転を開始し、列車本数が大幅に増発された1997年春のダイヤ改正に向けて輸送計画を策定した西岡泰樹氏が証言。改正の内容は当時鉄道本部長だった山崎被告に報告しており、それを把握していたはずだとのべました。
事故で娘を失った大阪市の女性(71)は「岩本氏が真実を語っていないことは、傍聴席から失笑が漏れるほどしどろもどろの様子を見ればわかります。自分で速度標識を立ててその理由がわからないなんて話が通りません。JRから圧力を受けたのかもしれませんが、岩本氏には事故の真実を語ってほしい」と話しました。