2010年12月30日(木)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
気象学者の増田善信さんは、一瞬、頭を殴られたような気がした、といいます。1985年の原水爆禁止世界大会でのこと▼休み時間に聞かれたのです。「雨は、あんなきれいな卵形に降るものですか」。増田さんは、大会で“黒い雨”について報告しました。「小型の広島型原爆でも、こんな異常気象をもたらす」と▼よりどころは、戦後すぐの気象台の調べでした。調査では、きれいな卵形の範囲の地域に黒い雨が降っています。増田さんにただした人は、広島県「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会(黒い雨の会)の村上経行さん▼村上さんは、大会でも発言していました。「黒い雨はもっと広い範囲に降っている」「多くの被爆者はこの調査結果に迷惑している」。増田さんは、黒い雨の会の協力を得て再調査に乗り出しました▼消えていた資料の発掘に始まり、被爆体験記の読破、住民からのじかの聞き取り、アンケート。4年後の89年にまとめた結果では、戦後すぐの調査の4倍ほど広い地域に雨が降っていました。北は、島根県との境近くにおよびます▼爆発から30分から1時間たち、原爆きのこ雲の水滴が雨となって降り注ぎました。雲の周りでは、水分が蒸気し“黒いすす”ができました。雨やすすから人体に入ってたまった放射性微粒子は、細胞に放射線をあびせました。内部被ばくです。増田さんたちの調査からも20年あまり。国は、援護を求める被爆者の運動におされ、ようやく黒い雨地域の見直しを始めました。