2010年12月26日(日)「しんぶん赤旗」
主張
最高検報告
まだ全面可視化を拒むのか
反省がまったく足りないというほかありません。捜査にかかわり大阪地検特捜部による証拠の改ざん、隠ぺいが行われた郵便料金不正事件について、最高検察庁が公表した検証報告です。
「起訴の判断は誤り」「取調べについては、反省すべき点があった」といいながら、検察組織が抱え込む「不正義の体質」に切りこんでいません。「必ずしも相当とは言い難い誘導等により、客観的証拠や客観的な事実と整合しない供述調書が作成された」としながら、取り調べを適正化するための全面可視化さえ拒んでいる態度は、度し難いものです。
真実より「筋読み」
捜査に着手する前に幹部が事件の「筋読み」をする。現実の捜査段階で筋と違う事実が出てきたら無視する。筋を否定するような供述は調書に取らない。検事はただただ筋書きどおりの供述をとるため、無理を通し、策を弄(ろう)する―。身内に甘い最高検の検証でさえ、特捜部の捜査の根深い問題点は、くっきり浮かび上がっています。
今回の事件では、ついに主任検事が証拠物のフロッピーディスクの改ざんにまで手をつけ、問題になると組織をあげて隠ぺいを図ったことが明らかになりました。しかし、捜査手法と特捜部の体質は、いつこのような事件を起こしても不思議ではないほど、危ういものであったことを見逃すわけにはいきません。
だからこそ、取り調べの全過程を例外なく録画し、検証可能とする「可視化」など検察の改革によって、捜査のあり方を根本から見直す必要があるのです。
特捜検察は、自分たちの取り扱う事件は、政治家や高級官僚、経済人などを対象にする特殊な知能犯事件で、供述が証拠の中心になるのは当然だと開き直ってきました。これほどの問題をおこしても「可視化すれば特捜の事件は捜査できなくなる」と主張しています。しかし、捜査が困難なのは特捜部に限ったことではありません。
警察であれ、検察であれ、捜査機関はすべて、地道な捜査で証拠を固め、適正な手続きで、厳正に犯罪を摘発することが求められているのです。
その困難を避け、密室での取り調べで供述を得ることだけに力を傾注するようなやり方は、犯罪捜査の本道ではありません。ここにこそ、証拠の改ざんという大阪の事件から、検察組織全体がくみ取るべき大きな教訓があります。
刑事裁判の大原則は「真実の発見」と「無辜(むこ)(無実の人)の不処罰」です。検察は、法律家としてこの原則に謙虚に従う姿勢をみせるべきです。筋読みの前に「真実」を屈服させ、無実の人を処罰しようとしたような行為をくり返してはなりません。
正義こそ信頼生む
最高検が検証報告で持ち出した「一部可視化」は、検察にとって都合のよい供述場面のみを記録し、裁判での補強証拠としようとするものになる危険があります。あくまで取り調べの全過程を検証可能とすることこそ、取り調べの適正化に役立つ「可視化」となります。
検察が、地に落ちた国民の信頼をとりもどすのは、容易なことではありません。検察が「正義」に胸をはるためには、全面可視化への決断が、最低限、絶対の条件となっています。