2010年12月6日(月)「しんぶん赤旗」
ゆうPRESS
太平洋戦争開戦69年 治安維持法犠牲者 市吉澄枝さんにきく
不条理に立ち向かう志を継ごうと思った
すてきです。受け継がねば
12月8日は「太平洋戦争」開戦から69年。韓国を「併合」し、中国からアジアへの侵略に突き進んでいた当時の日本では、戦争に反対した人などを取り締まる治安維持法が吹き荒れていました。同法犠牲者の市吉澄枝さん(87)=東京都中野区在住=に、どのような時代に、どんな思いで生きてきたのか、同じ地域に住む会社員の工藤岳さん(27)、真由さん(28)夫妻が聞きました。
岳 治安維持法のことは正直、よく知りません。お話を聞いて勉強したいと思います。
真由 作家の小林多喜二が治安維持法で捕まり、拷問で死んだことは知っていましたが、犠牲者の方に会うのは初めてです。
市吉 私は1923年(大正12年)に生まれました。16歳のときに母が亡くなり、父親は満州(中国東北部)で働いていたので、自宅には兄と私とお手伝いさんの3人。兄が東京大学に入学すると、気兼ねのない我が家に学生たちが集まり、社会主義経済学の研究会を開いていました。私はそれを、ふすま越しに聞いていたの。17歳のころでしたね。
真由 与謝野晶子(歌人)や平塚らいてう(女性解放運動の先駆者)とは、どれくらい時代が違うのですか?
教育を疑った
市吉 2人は女性雑誌『青鞜』創刊(11年)のメンバーでした。
大日本帝国憲法(明治憲法)は天皇を万世一系の統治者、現人神(あらひとがみ)としたでしょう。明治の民法では「妻の無能力」という規定もありました。
岳 本当に? それはひどいですね。
市吉 私は、女性たちの解放を唱えた、らいてうや晶子の呼びかけを読んで、良妻賢母の教育に疑問を持ったの。女性は大学受験すらできず、親が決めた結婚をする時代だった。それはおかしいと思ったし、大学に行けないのも悔しかったのね。だから兄と「いかに生くべきか」と、よく話し合いましたよ。
特高に捕まり
市吉 兄は40年に東大の社研グループが検挙されたとき、特別高等警察(特高)に捕まりました。留置場で殴られたり、髪の毛で天井からつるすと脅されてね。社会をよくしたいと考える「普通の学生」が、権力のあまりの理不尽さに「左翼学生」になったの。(笑い)
真由 権力の側は、命を生み出す女性を目覚めさせたら大変だと思っていたのではないでしょうか。どうやって勉強したのですか。
市吉 41年に本格的に戦争が始まると、次々と男性が徴兵されたでしょう。今こそ女性が不条理な社会に立ち向かう志を受け継がなければと思うようになりました。家には左翼系の本があって、同い年の女性と2人で、ベーベルの『婦人論』やエンゲルスの『空想から科学へ』などを読みました。特高に目をつけられないように細心の注意を払い、伏せ字の本を読んだのよ。
岳 そんな苦労があったのですね。
市吉 44年3月に20歳で保健婦養成の専門学校を卒業し、愛知県内の軍需工場に寮母として就職しました。45年1月、工場に特高が私を逮捕しにきた。荷物をまとめながら、友達に迷惑がかからないように、もらったはがきをこっそりトイレにちぎって捨てました。
岳 怖くなかったのですか。
市吉 覚悟していたし、間違ったことはしていないのですから怖くはなかった。取り調べで拷問はなかったけれど、ナイフで脅されたことはありました。でも私は何も知らないといい続けました。独房に入れられた経験もあります。ノミやシラミは死ぬほどかゆくてね。7月の大空襲では思想犯でしたから、私だけ仮釈放にならず、鉄格子の中に残されました。巡査の機転で命拾いはしましたが。
岳 こんな時代があったのですね。いまも表現の自由などを抑えようという動きがありますが、許してはいけないと思いました。
市吉 ようやく誕生した国民主権の憲法です。若い人には大事に守ってほしい。
憲法への思い
市吉 私の夫は、兄が参加していた研究会のリーダーでした。当時は、ふすま越しに話を聞いていただけでしたが、とても尊敬できる人でした。徴兵されてしまったので再会したのは戦後です。その間、お見合いも勧められたけれど断ってきたの。終戦の翌年に中国から帰還した彼に会って、すぐに意気投合しました。7年待った初恋が実ったのよ。
真由 すてきです。市吉さんは、まだ社会も封建的な時代に、自分で選んだ人と結婚したんですよね。これって、当時の女性が権利を主張する最たるものだと思います。憲法の問題でも、市吉さんや多喜二の思いを受け継いでいかなければいけないと思いました。
岳、真由 きょうは志を教えていただきました。ありがとうございました。
治安維持法 日本共産党をはじめ、天皇制廃止など、国政のあり方を根本的にかえる「国体の変革」を掲げる団体やその指導者、個人を弾圧する法律。1925年に施行、28年に最高刑が死刑に改悪されました。45年10月に廃止。
お悩みHunter
クラスがまとまる良い方法は
Q 通信制高校2年の女子です。中学時代ずっと不登校で、通信制高校のサポート校に通っています。卒業生を送る会の実行委員を引き受けていますが、クラスのまとまりがとれずに悩んでいます。自分の力不足に涙が出ることもあります。担任の先生は授業以外、中学校回りで留守が多くて相談できません。まとまりをつくる良い方法はないでしょうか。(17歳女性)
気持ちを率直に語ってみては
A すごいですね。中学時代ずっと不登校だったのに、通信制高校のサポート校で実行委員を引き受けるなんて。
もうこれだけでも、感動です。それなのに、さらにクラスのまとまりをつくる努力をしているあなた。そんな自分の変化をまずは素直に喜び受容することが今、とても大切だと思います。
サポート校には、あなたと同じような苦しみやつらさを背負ってここまで歩んできた仲間が多いはずですから、自分に対して自信が持ちづらいのかもしれません。本当は、もっとまとまって積極的にやりたいと思っていても、その気持ちをなかなか素直に表現できないで、一歩を踏み出せない人も多いのかもしれません。そんな仲間の「気持ち」をあなたなら理解できるはずです。
クラスをまとめるためには、あなたも自分の気持ちをもっとさらけ出して今の自分の悩みを、率直に語ってみてはどうでしょう。
そうすればきっと、あなたの気持ちに「共感」し、勇気を出して手助けしてくれる人が出てくるかもしれません。声をかけられるのを待っている人もいるかもしれません。
いずれにしてもあせらないことです。自分たちの小さな前進や成果にスポットを当て、自信を深めることです。
ここまで苦労してきたあなただからこそ、きっとできますよ。
教育評論家 尾木 直樹さん
法政大学キャリアデザイン学部教授。中高22年間の教員経験を生かし、調査研究、全国での講演活動等に取り組む。著書多数。
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