2010年12月6日(月)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
ジョン・ウィンストン・レノン。1940年イギリスに生まれたジョン・レノンは、自分の中間名ウィンストンをあまり好きでなかったらしい▼彼が生まれたころの大英帝国の首相の名も、ウィンストン・チャーチルでした。69年にオノ・ヨーコ(小野洋子)さんと結婚すると、改名します。ジョン・オノ・レノン。しかし、その名前で生きられた時間はあまりにも短い▼11年後の80年12月8日、名曲「イマジン」で人々が希望をもって暮らす国境も飢えも暴力もない理想郷を歌った人は、4発の銃弾を撃ち込まれて倒れました。犯人は、当時25歳の孤独をかかえる若者でした▼犯人は、父から「ビートルズをきくな」といわれて育ちました。高校生のころからビートルズに熱中し、彼の部屋はレコードから壁を埋め尽くす写真や記事まで、「ビートルズの神殿」のようだった、といいます。なかでも、レノンこそが理想像でした。そんな彼がなぜ? 今もって謎です▼ジョン・レノンが生きていれば、ことしで70歳です。仕事でも反戦運動でも同志だったジョンとヨーコさんは、ともに80歳まで生きようと誓い合っていました。自分たちになにができるか、話し合っていました。ジョンの死の前年、二人は声明を発表しています▼「…部屋の鉢植もどんどん育ち/猫は一日中、ゴロゴロ喉(のど)を鳴らしています/やっと、これからという感じです/地球の未来は、私たちすべての人間にかかっているのです」(『ジョン・レノンいちご畑よ、永遠に』から)