2010年11月27日(土)「しんぶん赤旗」
核基地維持 日本側も望む
沖縄返還交渉 米に迎合
外交文書公開で判明
外務省は26日、沖縄返還交渉に関するファイル63冊など582冊の外交文書を外交史料館(東京都港区)で一般公開しました。公開文書から、沖縄の本土復帰後も米軍基地の自由使用と核攻撃能力の維持を望む見解が日本政府内から示されていたことが明らかになりました。
1969年1月25日、都内の外相公邸での会合に提出された文書「沖縄返還に関する防衛上の諸問題」(防衛庁作成)は、沖縄を「共産勢力の膨張をせきとめる」最前線の戦略拠点と位置づけ、「沖縄にある米国の戦争抑止力は、日本の安全に大いに貢献している」と“評価”。当時から、「抑止力」を口実に沖縄に基地をおしつける発想を持っていたことを示しています。
沖縄県民は本土復帰に際して「核抜き・基地返還」を強く求めていましたが、同文書は「沖縄の航空基地は核報復基地としての機能を含めて、戦術攻撃の拠点として依然必要」としています。
さらに、「基地の使用制限によって米軍の支援作戦が制約され、韓国及び国府(台湾)の安全が脅かされるような事態が生ずると、わが国の安全にも影響をおよぼす」と主張。復帰後も、日本防衛とは無関係な作戦でも米軍が自由に基地を使えるよう求めています。
また、首相の諮問機関「沖縄問題特別委員会」が作成した文書「沖縄返還と基地の取扱」(67年9月12日)も、「基地を現状のままとし、事前協議による制限を加えない自由基地とする」という選択肢が「アメリカとの交渉もっとも容易」であると記しています。
当時、米側が沖縄の施政権は返還しても基地は維持して核兵器の配備継続と基地の自由使用権の確保を要求していたことは、米側の解禁文書で知られています。日本側も米側に迎合する考えをもっていたことが浮かび上がりました。
佐藤栄作首相とニクソン大統領(いずれも当時)は69年11月21日付で、米軍の核再配備とアジア地域への自由出撃を保証した密約を交わしました。