
2010年11月24日(水)「しんぶん赤旗」
問われる日航の品格
人権被害者まで標的
「整理解雇」問題
「人権侵害をなくし、明るい職場づくりで空の安全を守ろう」と「JAL監視ファイル」裁判にたちあがったベテラン客室乗務員を、日本航空が指名解雇する―。そんな横暴は許せないと、原告団は解雇撤回を日航に申し入れています。(田代正則)
![]() (写真)判決の日、東京地裁に向かうJAL監視ファイル事件の原告たち=10月28日、東京・東京地裁前 |
監視ファイルは、日航とJAL労働組合(連合・航空連合加盟)が一体となって、約1万人にも及ぶ全客室乗務員とOBの個人情報をひそかに収集したもの。「流産」「精神異常」など人権侵害の書き込みもありました。
発覚したのは2007年。プライバシーにまで踏み込んで労働者を監視し、支配しようとする前近代的な日航の企業体質を示すものでした。
信頼壊す
「信頼していた上司に話したことが筒抜けだった」とショックを受ける若い労働者。
「安全運航に不可欠のチームワークを破壊することは許せない。自由に物言える、風通しのいい職場をつくろう」と、日航キャビンクルーユニオン(CCU、航空連加盟)に所属するベテラン組合員が中心となり、声をあげました。
謝罪と再発防止を求め、07年11月、当初194人が原告となり(亡くなった人などがおり最終的に192人)、日航とJAL労組を相手どり裁判に訴えました。会社は裁判で争うのは不利とみて、損害賠償に応じて裁判から外れましたが、今年10月28日、東京地裁判決でJAL労組とその歴代委員長5人が断罪されました。
しかし、日本航空は11月15日、何の反省もなくJAL監視ファイル裁判の原告を含めた客室乗務員90人を解雇する可能性が高い、と発表しました。
日航は会社再建のための希望退職が目標に達していないとしていますが、実際には、人員削減目標をすでに73人も超過達成しています。
10月から客室乗務員のリストラ対象者の乗務を外し、人権無視のやり方で退職を迫っており、現在も、50歳以上の一般職は、自宅待機のままです。そのひとり、原告団事務局長の飯田幸子さん(56)は強調します。
「50代の客室乗務員は、日航が事故を多発させた時代を知っています。どんな不安全な要素もなくしたい。だから、裁判に立ち上がったんです」
改善提案
飯田さんが日航に入社した1975年の後、77年クアラルンプール事故、82年羽田沖事故、85年御巣鷹山墜落事故と、多くの乗客乗員の命を奪った事故が起こりました。
乗客を無事に目的地に送り届ける使命を果たせず、「何にも代えられない命をあずかっていながら、何てことだろう」と言いようのない思いでした。
日航の物言う労働組合を敵視する姿勢をはねのけ、労働者一丸となった安全問題への取り組みが行われました。地上職が整備、パイロットが運航にそれぞれ責任を持ち、当時の日航客室乗務員組合(現CCU)は、客室の状況改善に取り組みました。
機内の通路が狭く、いざというとき避難が遅れるからと、座席を減らすよう提案して実現。客室乗務員の席のそばにメガホンを備え付け、何かあったら乗客にすぐ呼びかけられるようにするなど、次々と提案していきました。
「私たちは、お客さまに笑顔で接しながら、顔色が悪くないか、不審な点はないか、常に気を配っています。それは、先輩を見ながら覚えていきました。今度は、次の世代に伝える責任があると思っています」と飯田さんは語ります。
JAL労組幹部は管理職に
監視ファイル裁判で断罪
裁判で断罪されたJAL労組歴代委員長は「出世」し、3人は客室本部の部長や次長などの役職についています。日航ではJAL労組の役員になるのは、やがて会社の幹部になっていく「出世コース」です。人権侵害をした人の下で働くことに、職場に疑問と不安が広がっています。
JAL監視ファイル裁判の原告団は11月4日、日航に対して、判決を真摯(しんし)に受け止め「非近代的な労務管理の抜本的改善をJAL再建の重要な内容の一つに位置づける」こと、JAL労組の委員長であり人権抑圧の実行行為者であった社員を部長・次長などの幹部管理職に登用している人事を抜本的に改善すること―の2点を申し入れ、文書での回答を求めています。
さらに12日には、判決を生かし、解雇計画の撤回を求める申し入れを、稲盛和夫会長あてに送りました。現在、両申し入れへの回答は届いていません。
飯田さんが語ります。
「誰もが航空を利用する時代だからこそ、会社は安全の原点に立つべきです。安全運航には何より、人権とチームワークが大切です。物言う労働者を敵視する前近代的な労務政策はやめるべきです」
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