2010年11月3日(水)「しんぶん赤旗」
巻き返し図る改憲派
11月3日は、現行憲法が公布されてから64年になります。「政権交代」から1年あまり、財界とアメリカに忠誠を誓う菅民主党内閣の下で、日米同盟強化と改憲への巻き返しの動きが強まりつつあります。(中祖寅一)
審査会始動へ急ピッチ
改憲原案の審査・発案権限を持つとされた憲法審査会をめぐる動きが急です。民主党と自民党は、憲法審査会の定員や議事のルールを定める規程を今国会でつくることで合意しました。
すでに衆院では憲法審査会規程は政権交代前の2009年6月に議決されています。このとき民主党は反対しましたが、今回は推進する側に立っています。
民主党の参院幹部らは「規程を議決することと、審査会を始動させることは別」と述べます。しかし、「規程が議決されれば、動かさない理由はない」(国会関係者)というように、規程の議決は審査会の始動を目指すものにほかなりません。
憲法審査会の始動は、国会で改憲案の審査を含む改憲論議が新たにスタートすることを意味します。
自民、民主、公明、国民新、みんな各党の改憲派議員でつくる新憲法制定議員同盟(会長・中曽根康弘元首相)は、こうした動きを受け11月中旬にも会合を開き、審査会始動へ気勢をあげる構えです。
改憲手続き法制定で中心的役割を果たした、中山太郎前衆院憲法調査特別委員長(09年総選挙で落選)や民主党の枝野幸男幹事長代理、仙谷由人官房長官らは今年5月、「真の憲法論議を蘇生(そせい)する」などとして「憲法円卓会議」を結成。臨時国会中も中山氏を中心に毎週国会内で会合を続け、憲法審査会の始動に合わせて「提言」を発表することなども話し合っています。10月以降、自民党の中谷元・衆院議員(元防衛庁長官)、民主党の長島昭久衆院議員(前防衛政務官)、社民党を離党し民主党の会派入りした辻元清美衆院議員らも新たに加わりました。
夏の参院選で大敗した民主党・菅内閣は、衆参“ねじれ”の状況で、自民党の協力を引き出そうと、改憲論議推進の求めに応じる姿勢に傾いています。もともと菅首相は、04年の代表当時、「憲法改正に正面から取り組む」「民主党の改憲案を憲法の還暦(06年)までに出したい」と述べていました。
9条破壊へ安保を強化
自民、民主、公明、国民新などの安保関係議員でつくる「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」(2001年結成)が、10月に活動を再開しました。前原誠司外相に代わって長島昭久前防衛政務官が代表幹事に就任。自民党の中谷元・元防衛庁長官、公明党の佐藤茂樹衆院議員らとともに、日米軍事同盟強化で連携を強める動きです。
同議連は、尖閣諸島での中国人船長の逮捕をきっかけに「領域警備」の強化を強調しながら、テロ対策海上阻止活動や海賊対策活動への給油支援の法整備やPKO法の改定、自衛隊海外派兵の恒久法の制定までを視野に入れています。中谷氏は長島氏と連携しながら、「海上阻止活動と海賊対策への給油支援の枠組みづくりを急ぐ」としており、民主党が同調すればインド洋での給油活動再開につながります。
菅直人内閣は、沖縄の普天間基地「移設」をめぐり“低下”したアメリカとの「信頼関係」修復を最優先。辺野古での新基地建設の「日米合意」の履行だけでなく、日米同盟「深化」のため各論の具体化を急いでいます。
海賊対策では、北沢俊美防衛相が、アデン湾での海賊対策を行う外国艦船への給油のための法整備を急ぐと繰り返し発言。昨年自公が強行した海賊対処法に基づくソマリア沖での活動期限の延長をあっさり承認、ソマリアの隣国のジブチに初の自衛隊海外基地建設を進めています。PKO法の武器使用基準の見直しや武器輸出三原則の見直し論も加速しています。
アーミテージ元米国務副長官は日本記者クラブの講演(9月22日)で、「ソマリア沖、ジブチ等を基地として行われている協力体制は、実は憲法9条をはずしたような状況だ」と賞賛。「陸、海、空において日本は他の22カ国と共に協働行動している。(そうしたもとで)日本が実際に9条を改正すべきなのか」と述べる状況です。
世論排除の「比例削減」
民主党が自民党や公明党、みんなの党と共同して改憲と海外派兵の路線を突き進めば、国民との新たな矛盾を引き起こします。「9条の会」をはじめとする草の根の世論の力が試されます。
その中で、民主党が衆院比例80削減に固執し、「9条守れ」の国民多数の声を代表する日本共産党などの政党を国会から締め出し、民意を排除する動きを強めていることは重大です。それ自体、国民主権に基づく議会制民主主義の破壊です。岡田克也幹事長・政治改革推進本部長は、比例削減の党内論議の取りまとめを急ぐ姿勢を崩していません。
憲法 日本国憲法は、多大の犠牲と惨禍をもたらした戦争を繰り返さないことを決意し、国民主権、戦争放棄、基本的人権などを原則にして、戦後の1946年11月3日に公布され、翌47年5月3日に施行されました。
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