2010年10月25日(月)「しんぶん赤旗」

きょうの潮流


 昔、森孫右衛門(まごえもん)という人がいました。もとは大阪の名主で漁民でした。本能寺の変のさい、徳川家康が伏見から岡崎城へ逃げ帰る道中を助けた、といいます▼家康が江戸へ入ると、孫右衛門も江戸へ。一族は、漁をして魚を徳川家に納めるとともに、余った魚の売買を許されます。江戸に幕府が開かれる前の1602年、長男が日本橋に売り場を設けました。魚河岸(うおがし)の始まり、と伝えられます▼日本橋に栄えた魚河岸は、明治の時代に邪魔者あつかいされます。近代の経済の中心地に魚河岸などもってのほか、と。すったもんだの末、1923年の関東大震災をきっかけに移った先が、築地です▼プロレタリア文学小説の舞台にもなった築地市場。飛び交う威勢のいい声が、“江戸っ子はこうだったか”と想像させます。前にも引っ越し話はありましたが、豊洲の東京ガス工場跡に移すとの石原都知事の考えは、想像を超えます▼猛毒のシアン化合物や発がん物質ベンゼンに、ひどく汚染された工場跡。ずさんきわまる調査で、“安全”とみせかける都。日本環境学会も、移転とりやめを求めます。しかし知事は、移転のための関連予算を執行するといいます。「都民の台所」を汚染の地へ。これは、作家でもある知事の小説の話ではありません▼日本橋に立つ魚河岸の記念碑は、「日本橋魚河岸は…江戸任侠(にんきょう)精神発祥の地」と刻んでいます。恩義を重んじ、弱い者が苦しんでいると見逃せないという「任侠精神」。石原知事の任侠度はどうでしょう。





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