2010年10月20日(水)「しんぶん赤旗」
主張
差し止め却下
検察審不信は国民への不信だ
小沢一郎元民主党代表の政治資金規正法違反事件で、小沢氏を起訴すべきだとした検察審査会の議決の差し止めを小沢氏側が求めていた問題で、東京地裁は申し立てを却下する決定を下しました。小沢氏側はなおも、東京高裁に即時抗告して争うとしています。
見過ごせないのは小沢氏側が、検察審査会で2回「起訴相当」と議決され強制起訴されることになったのに対し、検察審の審議は不透明だとか、「素人」の判断だとかいって、不信をかきたてていることです。国民が参加する検察審を「素人」と批判する根っこには、国民への不信があります。
司法への国民の参加
検察審査会の議決に対し、小沢氏は執行停止を申し立てるだけでなく、議決そのものの取り消しを求めた行政訴訟も起こしています。国会でも小沢氏に近い民主党議員が、検察審査会のメンバーや審議が公開されていないのは問題だなどといって非難しました。
しかし、もともと検察審査会は裁判所に設けられている「準司法」機関で、東京地裁が申し立てを却下した決定でいっているように、起訴すべきだという議決も司法の手続きで行政処分ではありません。強制起訴をうけ有罪か無罪かを判断するのは裁判所で、小沢氏が起訴されたことに納得がいかなければ、裁判で争えばいいだけです。行政訴訟を起こすなどというのは筋が通りません。
検察審査会のメンバーは有権者の中からくじ引きで選ばれます。昨年から法律が改定されて検察審が2度「起訴相当」と決めれば強制起訴されるようになったのは、司法への国民参加で審査会の機能が強化された結果です。検察審の議決で起訴されることになった政治家は小沢氏が最初です。その小沢氏が検察審の議決を批判するのは、司法を軽んじ、司法への国民参加そのものを否定することになりかねません。
一般の有権者が参加する検察審査会の議決が「素人」の判断だというなら、国民から選ばれた国会議員の選挙そのものも「素人」の判断です。「素人」の判断だと検察審の議決を批判するのは、国民の判断を軽視することであり、それは結局みずからにはね返ります。
だいたい小沢氏が問われている政治資金規正法違反事件は、政治家は政治資金を透明にして国民の評価を受けるという法の趣旨に反してうその届け出を重ねていたというものです。それ自体主権者・国民への重大な背信行為なのに、検察審から起訴相当の議決が出されてもなお従わないというのは、国民の意思を二重三重に踏みにじる態度というしかありません。
司法と国会は車の両輪
小沢氏にいま求められるのは、検察審査会の決定にもとづき司法の場での判断に従うとともに、国会議員の一人として国会での真相究明と政治的道義的責任の追及にこたえることです。小沢氏が検察審の議決に異を唱え裁判の開始を遅らせようとしているだけでなく、国会での追及にもまともにこたえていないのは重大です。
司法の場での刑事的責任の追及と、国会の場での真相究明、政治的道義的責任の追及は車の両輪です。国会はまず小沢氏を証人として喚問し、真相究明にあたるべきであり、小沢氏と民主党はそれに真摯(しんし)にこたえるべきです。