2010年10月5日(火)「しんぶん赤旗」
「夫の労災認めて」妻が訴え
「ありがとう」のメール残して自殺
「降格するぞ」連日叱責され
東京日野自動車
トヨタ系列の東京日野自動車で、営業職だった島村昌良さんがパワハラと長時間過密労働のもとで昨年6月、自ら命を絶ちました。47歳の若さでした。残された妻の英子さん(47)は、労働組合に相談し、埼玉県の春日部労働基準監督署に労災認定を要請。世論に訴える記者会見をおこなう(9月28日)など、会社が一刻も早く労災と認めるように求めています。(阿部活士)
「マー君です。まだそんなに太っていなくて」。英子さんは、定期入れのなかにある昌良さんの写真を見せてくれました。一枚は新婚旅行先のハワイで撮り、もう一枚は結婚式の下見で軽井沢にいったときのものです。
順風な生活
年齢は同じ年で学年が一つ上のマー君。バイクのサークルで知り合いました。昌良さんは、すでに埼玉日野自動車の岩槻支店に営業職として勤務していました。
知り合ってから、2年半後に結婚しました。1人息子が生まれ、課長にもなり、順風満帆の生活でした。おだやかな性格で、歴史が好きなマー君。料理が得意な英子さん。「旅行貯金」を積み立てて近年は夫婦で韓国旅行に行き、韓国料理のレパートリーを広げてきました。「いて当たり前の人がいなくなって…」と目を潤ませました。
その日、昌良さんは英子さんが作った弁当をもって、普段通りに出勤しました。午後6時すぎに、メールをめったにしない夫からメールがきました。
「今までありがとう、ごめんなさい」
びっくりして、夫の携帯に電話してもつながりません。会社にかけると、“午後4時ごろから連絡がつかない。奥さんこそなにか知らないですか”という対応だったといいます。
発見されたのは、那須塩原高原の山あいでした。
顔色が悪く
途方にくれる英子さんに、親族として寄り添ってくれたのが、全労連・全国一般東京地方本部一般合同労組の永島盛次さんです。
自殺に追い込まれるまで職場でどんなに過酷にいじめられていたのか。貴重な証言をしてくれた人もいました。
それらの話を総合すると、2004年に東京日野に吸収合併されて、課長職から一般社員に降格される一方、仕事量が増えました。
とくに2007年に代わった支店長時代から職場環境が急変したといいます。支店長は執ように、営業成績について呼び出し、責めたてました。とくに昌良さんが狙い打ちにあったといいます。09年3月ごろからいじめはいっそうひどくなり、「おれのいうことが聞けないなら降格だ」と声を荒らげた叱責(しっせき)を聞いた人もいました。
連日のように、降格や懲戒免職をちらつかせて長時間にわたっての叱責。亡くなる6月、夫の顔色が悪くなってどす黒い感じで、「本当に大丈夫」と声をかけたと英子さん。昌良さんは、「金の回収が困難で、懲戒免職になるかもしれない」「死んだら同情してくれるかな」などと英子さんに話しました。
社会責任は
亡くなって1カ月後、遺族と親族の代表が、会社側と6回懇談しました。3回目までの懇談では、会社としてメンタルヘルスケアが不十分であったとして労災補償に全面協力することを約束していたといいます。
しかし、4回目の懇談で、自殺の原因は故人が仕事上のミスを気にしたもので、会社として労災認定に協力はできないと、対応を百八十度変えました。
英子さんは、永島さんに相談し、一般合同労組に加入し、会社の横暴とたたかう決意をしました。永島さんたちは、「職場の環境改善を促進させる会」を発足させて支えています。
英子さんはいいます。「人を人として扱わず、もっぱら金もうけの道具のようにしかみることのできない会社。その社会的責任を追及したい」