2010年9月30日(木)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
ことし、名古屋の町づくりが始まって400年といいます。1610年、天下をとった徳川家康の決定が実行に移されました。名古屋に城を築き、お城のある清須から町ぐるみ移転する―▼400年記念行事が続いています。河村たかし市長は、信長や秀吉、家康が出会った尾張名古屋を「武将の聖地」とよび、彼ら、とりわけ信長をたたえます。武士の世をつくる「庶民改革」を夢見た、と▼当時の武士は庶民だった、というわけです。たしかに、戦国時代の戦争のため集められた農民兵士などは庶民だったでしょう。しかし、強権をふるった信長や栄華をきわめた秀吉が「庶民改革」の旗手だったとは、いささか苦しい▼河村市長は、自分を信長らの後継者と考えているらしい。河村市政を、「今名古屋でやっとる…庶民革命」というのですから(名古屋市ホームページ「市長の部屋」)。河村市長の「庶民革命」は、批判する勢力を許しません▼たとえば、「市民税10%減税」の公約です。市長自身が公約に反して大企業・大金持ちを優遇し、市議会で反対されたら、“公約の実行のじゃま”というわけで、市民に議会の解散運動をよびかける。市民が市長と議員を別々に選ぶ、地方政治のそもそもをわきまえていません▼市長や議員をやめさせるリコールは、住民自身の権利です。市長が住民にけしかけ、あおるとは、異様です。「河村私党の独裁に?」の心配もうなずけます。権力を手にするため「庶民」を利用するのは、独裁者の常でした。