2010年9月24日(金)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
「朝鮮人は一段落した。さあ次は日本人だ」。1950年代半ば、各地の福祉事務所でこんなかけ声が聞かれました▼政府は、在日朝鮮人の生活保護を次々打ち切っていました。“朝鮮征伐”という言葉をつかう役人もいた、といいます。生活保護を受ける人は、戦争が終わり10年たった1955年度におよそ193万人いました▼ところが政府は、アメリカとの間で結んだ旧安保条約にもとづき、わが国の再軍備に乗り出していました。ふくらむ軍事費をひねり出すため社会保障の予算を削る。というわけで、生活保護も標的でした▼日本人の場合、保護打ち切りや支給額減らしへ、草の根分けても扶養者を探し出せ。後に生存権の保障を求めて「人間裁判」をおこす朝日茂さんも、同様の仕打ちを受けます。福祉事務所は、35年も音信不通の、中国から引き揚げてきた兄をみつけ、朝日さんへの仕送りを強います。しかし、国が仕送り分をそっくり保護費から差し引き、朝日さんの手元には残りませんでした▼ことし6月、生活保護を受けた人は190万人を超えました。1年前より20万人多く、1955年度に迫ります。不況の影響も大きいが、政府がいくら保護の打ち切りや門前払いをしても、1990年代から増え続けてきました▼広がり深まる日本の貧困。いたれりつくせりの米軍思いやりなど、むやみに続けている場合ではありません。わが国憲法の、不戦を誓う9条と生存権を保障する25条は、切っても切れない縁で結ばれています。