2010年8月30日(月)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
故窪田精さんは小説を志した初心について、「生きながら人間の地獄をみた。この島でみたものをなんとかして書き残したい」とよく書いていました▼反戦運動で逮捕された窪田さんは終戦までの3年余を、囚人部隊の一員として南洋のトラック島に送られ外役作業に従事。終戦の年500人いた囚人部隊で生還できたのは数十人でした。ほとんどが飢えと虐待による死▼窪田さんは宮本百合子の「歌声よ、おこれ」でしられる民主主義文学運動に参加。この地獄の体験を終生書き続けました。窪田さんが長くけん引してきた日本民主主義文学会は今年創立45周年、28日には記念の会が開かれました▼能島龍三事務局長は、創作方法の自由、多様な題材を描くことを運動として心掛けているとあいさつ。文芸ジャーナリズムの中で見失われがちな社会や政治の問題に、一人ひとりの作家が向き合うことを大事に考えているとのべました▼戦後の文学運動を担った新日本文学会は、次第に偏向し特定の政治方針や方法論を押し付けるようになり、1964年に大衆団体としての節度を求める会員を排除。排除された会員らが中心となって、65年に民主主義文学同盟(会)が結成されました▼記念の会では、運動として苦しい局面に来ているという発言もありましたが、同会の5年間の秀作を集めた『現代短編小説選』は、人生と社会に向き合う作品が感動を呼びます。日本文学にこの運動なかりせば、と思わずにいられません。一層の実りを期待したい。