2010年8月15日(日)「しんぶん赤旗」

きょうの潮流


 65年前の8月15日。日本の敗戦のこの日を文字通り解放の日として迎えた人々がいます。戦前、日本の侵略と支配にあえいでいたアジアの人たちです。植民地だった韓国もそうです▼韓国西岸の都市、仁川でこの日の前後に起きたことを目撃した日本人がいました。当時、国民学校1年生だった吉原勇さんです。その記憶を1冊の本『降ろされた日の丸 国民学校一年生の朝鮮日記』(新潮新書)にまとめました▼8月13日。吉原少年はいつもより早い時間に国旗掲揚台の「日の丸」の旗がおろされ、代わりに見たこともない旗が昇るのを目撃します。大韓帝国の国旗でした。この日、「満州」から憲兵大尉がやって来て自宅に宿泊し翌日、日本へ帰国しました▼15日、吉原少年の父親が校長をしていた国民学校の用務員さんは「ニッポン負けた。朝鮮勝った」と言い、遠くから「マンセー(万歳)」「マンセー」と叫び声が聞こえてきます▼米軍上陸が近づく9月。隣組の会合から母親が青い顔をして帰宅します。米軍相手の慰安婦になる女性を差し出せという指示が上から下りてきたらしいのです。おりしも復員してきた父親がやめさせます。強制的に慰安婦にすることは人の道に反する。慰安所を作っても婦女暴行がなくなるとは限らない、と▼終戦の日を境に劇的に転換した日本と韓国の関係は、そこに暮らしていた日本人の運命も変えました。「韓国併合」100年でもあるこの8月は、転換の事実とその意味を静かに考える季節でもあります。





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