2010年8月13日(金)「しんぶん赤旗」
沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落から6年
脱出の女性、恐怖今も
「6カ月の子 抱え逃げた」
米海兵隊普天間基地の大型ヘリが沖縄国際大学(沖縄県宜野湾市)に墜落・炎上してから、13日で6年になります。県民・市民が基地撤去を求めたにもかかわらず、危険な実態は何も変わっていません。(青野圭)
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2004年8月13日午後2時15分。墜落現場と道路を隔てて向かい合う住宅から奇跡的に脱出した女性(31)が、当時を振り返ります。
「上の階にいる妹と電話中でした。妹が『ヘリコプターがグルグル回りながらここに来るーっ』と叫んだかと思うと、生後6カ月の大地が昼寝している部屋の窓に、黒い影が横切るのが見えました」
女性は、その後のことを、よく覚えていません。「たぶん受話器を放り投げ、大地を抱えて玄関から飛び出したのだと。大地を抱え上げた瞬間、窓越しに何かが飛んでくるのが見えた気がします。外に出た瞬間、ドドーンと大きな音がしました。すごい炎や煙で、1階にいた主人は死んだと思いました」
夫は無事でしたが、部屋はメチャクチャ。子どもが寝ていた布団やふすまには、ガラスや石の破片が刺さっていました。「ヘリの音が聞こえると今でも不安です。お風呂に入っていて裸で飛び出したり。6年たって何も変わらない、子どもは親が守るしかないと思うようになりました」
自宅ガレージ入り口を破片が直撃した男性(33)も「ヘリの音がすると怖いです。落ちたじゃないですか、また、あるんじゃないかと」。
地元の日本共産党・知念吉男市議はこの日、赤嶺政賢衆院議員と中央公民館にいました。伊波洋一市長の初訪米報告会の最中でした。
「ヘリが沖国大に落ちたらしい」。携帯電話で知らせを受け、直ちに90ccバイクで大学に向かいました。現場周辺は、米兵による封鎖が始まっていました。裏道からキャンパスに入り、ヘリが炎上する1号本館へ。
まもなく、伊波市長や赤嶺議員も駆け付けました。破片が散乱する大学周辺の生活道路まで封鎖する米兵らに赤嶺議員は「何をするか」と抗議。封鎖を解かせました。「懸念した危険が現実になった怒り。住民、学生は無事かと夢中で駆け回りました」と知念さん。
あれから6年。7月29日の普天間爆音訴訟控訴審判決で福岡高裁那覇支部はこう断じました。「米軍機の墜落への恐怖は現実的なものとなり、原告ら周辺住民の精神的苦痛が増大している」
しかし、自公に代わった民主党政権も基地の無条件撤去ではなく、名護市辺野古に新基地を押し付けようとしています。
米軍ヘリ墜落事件 2004年8月13日、米海兵隊普天間基地所属の大型輸送ヘリCH53Dが、宜野湾市の沖縄国際大学1号館に接触・墜落し炎上。イラク戦争への出撃準備に追われた整備兵がテールローター(後部回転翼)接続ボルトにピンを付け忘れた人為的ミスだとされています。