2010年7月27日(火)「しんぶん赤旗」
韓国文化財 返して
10万人の署名携え 利川市民ら来日
高麗時代初期の作 五重石塔
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「韓国併合100年の今年、文化財を元の場所に返してほしい」―。日本の植民地時代に持ち出された五重石塔の返還を求めた運動が、韓国・利川(イチョン)市で広がっています。このほど10万人の署名を携えて、趙炳敦(チョ・ビョンドン)利川市長をはじめ、石塔の返還を求める市民団体の代表らが来日しました。
五重石塔は現在、東京都港区のホテルオークラ東京に隣接する私立美術館「大倉集古館」にあります。高さ約6メートル、高麗時代(918年〜1392年)初期の作と推定され、利川市側によると、石塔は1915年、日本の植民地統治機関だった朝鮮総督府が開いた博覧会で展示のため、利川から京城(現ソウル)の景福宮へ移設されました。18年10月、総督府の許可に基づき、東京に持ち出されたといいます。現在、日本の重要美術品に指定されており、国外に持ち出す場合は政府の許可が必要となります。
趙市長らは21日、大倉集古館の大崎磐夫理事長、渋谷文敏副館長らと懇談し、利川市民20万人の半分にあたる約10万人分の署名と要望書を手渡しました。
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趙市長は、記者会見で「石塔は千年にわたって利川の地にあったもので、市民にとって精神的支柱をなしてきた。ぜひ元の場所に返してほしいと訴えた」と述べました。
利川の五重石塔還収委員会の朴菖熙(パク・チャンヒ)実務委員長は、「集古館側の人たちは、当時の総督府と(集古館の)理事が持ち出しについて、やりとりした往復書簡があることや、日本に石塔が来たいきさつをあまり知らないと言っていた。互いにもっと勉強し、今後も討論しあう必要性を感じた」と話しました。
大倉集古館側は、利川市民の気持ちは理解できるとしながらも、「歴史的な文化財としてしっかりと保管し、この場所で多くの人に見ていただきたいと思っている」と返還に応じないとしています。(栗原千鶴)
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