2010年7月25日(日)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
ならび立つ白い十字架。? 奥の方に、鳥居がみえるではないか―。写真家の下道基行さんが撮った、南の島サイパンの墓地です▼下道さんは、日本の国境外にある鳥居を記録しています。台湾の山地。広島・長崎に原爆を落とした米軍機が飛び立ったテニアン島…。かつて軍国日本は、占領地に神社を建て、住民を天皇の家来に変えようとしました▼植民地だった朝鮮では、「一面一社」計画を推し進めます。一つの面(村)に一つの神社。子どもたちは週に1度、参りに連れて行かれました。では一体、私たちの身近な存在でもある鳥居とは、もともと何だったのでしょう▼東京・新宿区の高麗博物館が、企画展「鳥居・しめ縄はどこから来たか」を開いています。担当者が韓国の農村を巡り、日本各地の神社を訪ね歩いてまとめた展示は、見応え十分。展示によると、鳥居の原型は稲作の伝来とともに大陸から伝わった、といいます▼大昔の人は、鳥を神の使いと信じました。死者の霊を天に運ぶ案内役。穀物の霊を運び五穀豊穣(ほうじょう)と多産を祈る霊力の持ち主。鳥居は、神の聖域と人の俗界とを分ける結界とみなされました。朝鮮に、鳥居のもとの形と考えられる祭りものがあります。ソッテ(鳥竿(とりざお))です。枝を払った木の上に、木細工の鳥をとまらせています▼とすれば、神国日本のシンボルも、もとをたどれば朝鮮の影響を抜きに考えられません。日本が韓国を併合して100年のことし。日朝、日韓の往来の歴史から、また一つ学びました。