2010年6月27日(日)「しんぶん赤旗」

「討論記録」

核密約と「明確に理解」

岸首相ら安保改定時から


 核兵器を搭載した米艦船・航空機の寄港・飛来を日米間の「事前協議」の対象外にした1960年1月の秘密の「討論記録」について、当時の岸信介首相と藤山愛一郎外相がこれを核密約だと明確に認識していたことを示す米政府の公文書が見つかりました。

 文書は、63年3月15日付で在日米大使館のリッチー1等書記官が米国務省東アジア局のフィアリー日本担当官に送った秘密書簡。国際問題研究者の新原昭治氏が米国立公文書館で入手しました。

 同書簡は、リッチー氏がフィアリー氏から62年2月12日に受け取った書簡の引用として「(日米安保)条約(改定)交渉時、秘密の討論記録の2節C項の意味は、岸(首相)と藤山(外相)によって明確に理解されていた」と記述しています。

 安保改定時に藤山氏とマッカーサー駐日米大使が交わした「討論記録」の2節C項は、米艦船・航空機の日本寄港・飛来に関する「現行の手続き」は「事前協議」の対象外だと規定。旧安保条約下で慣行だった核搭載米艦船・航空機の寄港・飛来を認めました。

 日米密約に関する政府の「有識者委員会」の報告書(今年3月)は「討論記録」の存在を認めながら、その2節C項に関する米側解釈を安保改定交渉時「日本側に明らかにした形跡はない」とし、密約であることを否定していました。

 これに対し日本共産党の不破哲三前議長は、米側が交渉の初めから核密約の内容を示し、最終的にその解釈を含め日本側が完全に合意したことを示す米政府の公文書を明らかにし、「有識者委員会」の見解を覆していました(本紙3月31日付)。今回の秘密書簡は、交渉当時から米側の解釈を岸、藤山両氏が「明確に理解」していたことを示しており、不破氏の解明をさらに裏付けるものです。

 このほか書簡は、米大使館側で2節C項の日米協議を記録した文書は見つからなかったと報告。「第7艦隊の艦船や航空機搭載の核兵器は交渉当時、非常に政治的に繊細な問題だった」とし、協議はマッカーサー、岸、藤山の3氏の間に厳しく限られ、記録も作られなかったと結論付けています。





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